Vol.61 細川ガラシャ(続2)[2017.10.31]

 なぜ、細川ガラシャはキリシタンになったのか。今回はその理由についてです。とはいえ、前回の殿村美樹さんのように、史料に基づいた私なりの歴史ロマンを披露しようというわけではありません。なんら歴史的根拠はありませんし、理由というほど大そうなことでもありません。

 つまりは、ガラシャのキリスト教との出会いについての雑感であり、歴史の専門家や愛好家でもない私が、それでも歴史を自分なりに調べつつ現代人の感覚で理屈をこじつけようとしているだけの話ですが、よろしければおつきあいください。

 私はキリスト教についても知識がほとんどありませんが、キリスト教が初めて日本に伝わった時、その教えである「愛」がどのように説かれ、当時の日本人にどう受け止められたのか、おぼろげながら疑問ではありました。

 伝来は戦国時代の1549年。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが伝えたとされています。ザビエルらが日本で布教するにあたって困ったのが、キリスト教の「愛(アガペー)」をどういう日本語に置き換えるか、だったそうです。そして、「御大切(ごたいせつ)」を当てることにしました。つまり、「神のご大切」。

 愛という言葉自体はもともと日本にもありましたが、その意味合いがふさわしくなかったそうです。当時、愛すると言えば、立場の強い者が立場の弱い者を「かわいがる」「もてあそぶ」というように、上から目線の関わりを意味したようなのです。つまり、武将が家来を、親が子を、男が女を、自己本位にというか自己満足でつきあっている、関わっている、そんな状況を言うのでしょうか。とにかく、清らかで尊いイメージがなかったようです。

 男女の愛についても、武家社会においては自由な恋愛、ましてや不義密通はご法度ですものね。そのくせ、衆道(しゅどう)という男色は武士の嗜みだったとか。でも、信長と森蘭丸の例からも感じられるように、やはり上述の自己本位の愛が色濃いように思えます。

 それから、8年前のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公だった上杉家の家老、直江兼続は、兜の前立てが「愛」という文字だったことで有名ですよね。でも、この兼続の「愛」は、愛染(あいぜん)明王信仰あるいは愛宕(あたご)神社を中心とする愛宕信仰に由来するとか……ああ、なんだかややこしくなってきたので、この話は置いておきましょう。

 また、仏教には「仏の慈悲」という言葉があります。Wikiによると「他の生命に対して楽を与え、苦しみを取り除くこと(抜苦与楽)を望む心の働きをいう」とあり、他の辞書の解説を借りると、「仏や菩薩が人々に楽を与え(=慈)、苦しみを取り除くこと(=悲)」とあります。

 キリスト教の愛と仏教の慈悲がどう違うかは私には分かりませんし、戦国時代に仏教が慈悲という言葉を使っていたのかどうかも分かりません。いずれにせよ、当時、キリスト教は、日本における新たな宗教の神髄として「神のご大切」を説いた、ということのようです。つまり、「神は、神を信じるあなたを大切に思う」ということでしょうか。

 この「ご大切」という言葉、とても平易で分かりやすく、優しさや親しみが感じられませんか?。

 同じ意味の言葉を使って「ご大事」と言うこともできるでしょうが、「ご大切」と比べると「ご大事」のほうは仰々しくて情緒があまり感じられません。それもそのはずで、大事を成す、大事に至る、といった言い方もあるように、もともと大事には重大な事柄、重大な事件、という意味もありますものね。大事は大切よりも客観的・社会的な視点が強く感じられ、反対に、大切は大事よりも主観的・個人的な視点が強く感じられる、というわけです。

 つまり、「神のご大切」は、封建的な武家社会にあって、個と個が向き合う平等関係を打ち出してくれているような「新鮮さ」と「親近感」があり、ガリシャの心に大きく響いたのではないか、ということです。

 明智家も細川家も武家階級に広がった禅を信仰していたわけで、最初はガラシャも禅に帰依していたようです。が、禅といえば、意力と直感で悟りへ至ろうとする難解な教えであり、また、威厳を保ち潔く死ぬことを大義とする武士(男性)と相性の良い宗教。それよりも「あなたが大切ですよ」と優しく、ストレートに言ってくれる教えの方が、どれだけ救われるか。

 もっともキリスト教は、神という超越的・絶対的な存在と原罪を背負った人間との関わりでしょうから、個と個が向き合う平等関係というのは正しくはないでしょう。あ、これも私には難しいので、置かせておいてください(笑)。

 ガラシャのキリスト教への信仰が芽生えるのは、本能寺の変のあと。そして、過酷な2年半もの幽閉生活を終え、夫の忠興との暮らしを再開させたとはいえ、心がもはや通わぬ暗澹たる日々にあったガラシャは、ますますキリスト教にのめり込んでいきます。

 聡明なガラシャは、独学で聖書の言葉も勉強したそうです。ということは、前回の芥川作『糸女覚え書』が描いたように、悪く言えば新しもの好きで意識高い系の完璧主義者、良く言えば知的好奇心旺盛で一本気な努力家だったのでしょう。そんな彼女だから、キリスト教を真面目に一心不乱に学ぶことによって、つらい現実から逃避することができ、また、自分が自分でいられるような充足感を味わうことができたのではないでしょうか。

 一方、忠興は文武両道で、今で言えば仕事はできるし、文化的嗜みもある誉れ高き社会人。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕え武勲も多く、また、細川三斎の名で知られる茶人で、利休七哲の一人に数えられ、三斎流という武家茶道の開祖として今も仰がれている人です。

 茶人としての忠興については、利休と秀吉の仲がこじれ、利休が京都を追放されて実家の堺へ旅立つ際(のちに秀吉は利休を京都に呼び戻し切腹を命令)、七哲の中でも、忠興と古田織部(陶器の織部焼の創始者で、漫画『へうげもの』でも知られる武将)の二人だけが、秀吉に知られることによる身の危険を顧みず、見送りに出向いたという話は有名です。

 つまり、忠興は社会人として、自分にとって恩義のある人への心遣いがこれほどできる人間なのに、家庭人としては妻への理解に欠ける横暴な夫だった、というわけです。忠興は確かにガラシャを愛していた。でもその愛は、キリスト教の愛を日本で説くにあたってザビエルらが避けた日本古来の自己本位な愛だったとも言えそうです。時代が時代だから仕方ないと言えば仕方ないのですが、気性が激しく独占欲が強いという忠興の性格もあってのことでしょう。

 また、上述したように一本気なガラシャ同様、忠興は忠興でかなり一本気でして、似た者同士の側面もあったようです。忠興は、一番心酔した主君である信長への恩義を生涯忘れずに供養を続けたようですし、茶道においても、利休の教えをベースに独自の境地を開いた織部とは対照的に、忠興は利休の流儀を頑ななまでに守り通し三斎流を興したそうです。

 美男美女カップルにして、磁石の同極が反発し合うように火花を散らす二人。そして、ガラシャは、次第に夫に愛想をつかし自分の信仰の世界にますますのめり込んでいく。忠興は、妻が自分には共感できず理解も及ばぬ信仰の世界に閉じこもる姿にますます苛立っていく。そんな夫婦の棘の家庭がイメージされます。

 ガラシャはなぜキリスト教になったのか、という話から少し離れてしまったかもしれませんが、実は私、かつてキリスト教が「神の御大切」という言葉を使って布教したことを知ったのは、つい最近のことでした。そして、その言葉の響きの良さにとても心を打たれたのです。

 そこで、ガラシャを気取って追体験したとでも言いましょうか、ガラシャのように信仰の門をたたいたわけではありませんが、あれこれ想像を巡らせ、綴ってみた次第です。




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