Vol.10 <金魚>(2)[2005.8.25]
奈良県大和郡山市の箱本館「紺屋」で目にした金魚の資料で2つの物語の存在を知り、実際に読んでみました。江戸時代の戯作者、山東京伝(さんとうきょうでん)の『梅之与四兵衛物語・梅花氷裂(うめのよしべえ物語・ばいかひょうれつ)』。そして、大正・昭和に活躍した小説家・歌人にして仏教研究家、岡本かの子の『金魚繚乱』です。本コラム<金魚>の2回目は、熊本と関西のつながりから離れますが、この少々マニアックな物語についてご紹介します。

■山東京伝作『梅之与四兵衛物語・梅花氷裂』
金魚をめぐる因果をベースに複雑な人間関係がからんだ物語。勧善懲悪を主軸に説話や筋に趣向を凝らした「読本」というジャンルに含まれる物語だそうですが、伝奇ホラーのようなお涙ちょうだいのようなお話でした。

ある女の嫉妬によって殺された妊婦の女性が金魚に取り憑きます。彼女が絶命する時の血で金魚の斑紅は真紅に、姿は妊婦さながらの腹ぼてに、そして、怒り恨みの表情さながらに目は飛び出し頬はふくれ…と、こうして蘭鋳(らんちゅう)ができたと(蘭鋳は“金魚の王様”とも称されますが、この種の先祖みたいなの?)。そして、この金魚妖怪が今度は殺した女に乗り移り、女はさらに見るも恐ろしき金魚妖怪の姿に変異し、壮絶な苦しみにのた打ち回ります。小康を得るも姿は変わり果てたままで、結局、悪事の相棒であった愛人の男に殺されます。

この物語は、当時、ペットとしての金魚の流行を背景に大ヒットしたとか。高値で金魚を買う好事家などの話も出たりするので、なるほどと思わされます。お涙ちょうだいの部分(女人悲話とか仇討ち悲話とかテンコ盛り)は割愛しますが、登場人物が実は親子だったり姉弟だったりと、かつての大映テレビドラマも現在人気の韓国ドラマもびっくりの相関関係。それが涙や感動を誘うわけで、今も昔も変わらぬ人間の心理ですね。

それに、挿絵の金魚妖怪のなんとオドロオドロシイこと(その誇張がやや滑稽でもありますが)。現代人がホラー映画に興じるように、江戸時代の人々も教訓的な読本とはいえ怖いもの見たさもあって楽しんだのでしょうか。この物語に興味を持たれた方は、『山東京伝集−叢書江戸文庫18』(発行:国書刊行会)でどうぞ。挿絵も解説もあります。

■岡本かの子作『金魚繚乱』
かの子はあの「芸術は爆発だ!」の岡本太郎のお母さん。物語は、階級の違う浮世離れしたお嬢様に、屈折した恋の想念を抱く青年のお話。この青年の生業が金魚の飼育で、お嬢様のイメージに似た新種をつくり出そうとするも思うようにいかず、失敗した金魚を投げ捨てた古池に、数年後、理想の金魚が泳いでいた…というような、こっちはちょっと官能的な伝奇ロマンです。

耽美妖艶の作風を特徴とする作家らしく、金魚のことを「ねろりとして、人も無げに、無限をぱくぱく食べて、ふんわり見えて、どこへでも生の重点を都合よくすいすい置き換え、真の意味の逞しさを知らん顔して働かしていく、非現実でありながら『生命』そのものである」と綴ります。このように物語は彼女特有の豊満で直感的な言葉が横溢する金魚賛歌ですが、自己陶酔型の作家とも評されるので、自分を金魚にたとえた自己賛歌なのでしょうか。

とはいえ、失敗した種の自然配合から秀逸なる種が出現したなんて、金魚はデカダンスの美の象徴だと耽美派は言うのでしょうが、美についてのイメージが貧困な私は、この古池は「ドクターモローの島」だ! と、そっちのほうへ思考回路が進み、ゾッとしたのでありました。

そういう金魚の美に取りつかれた人のエピソードもあり、この青年がどうも金魚飼育を副業とする貧乏旗本の末裔だったようでもあり、と金魚話満載です。この物語に興味をもたれた方は、ちくま文庫『岡本かの子全集<4>』でどうぞ。インターネットの電子図書館「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)でも読めます。また、様々な種類の金魚から意匠に用いられた金魚など、ありとあらゆる金魚を美しいビジュアルで楽しめる『きんぎょ』(ピエブックス発行)には、この物語も収められています。