Vol.26 <抜け道>[2007.3.27]
3月11日、朝日新聞が熊本城復元の話題を取り上げ、その忠実な復元ぶりと忠実なるがゆえに今ではかなり難しいこと、そして、秀逸な日本の木造建築技術について紹介していました。「土木の神様」加藤清正がつくった名城、熊本城。来春には往年の勇姿が公開されるとか。にぎわいの様子がまた伝わってくることでしょう。
http://www.be.asahi.com/be_s/20070311/20070219TBEH0054A.html
(↑3カ月間保存)

さて、私が注目したのは、その紙面に大きく掲載されていた写真。復元計画で蘇る「暗がり通路」です。地下に設けられた道で、有事に要人を逃すための抜け道という説もあるとか。ん? 抜け道? お城や忍者屋敷では“お約束”の秘密の通路!! こちら大阪には、大阪城東南の丘陵、真田山の三光神社に有名な「真田の抜け穴」が残っていて、大阪城につながる地下暗道の出入口だと語り継がれています。
http://www.eonet.ne.jp/~sankou/index.htm

真田とは大阪夏の陣で散った豊臣方の武将、真田幸村のこと。猿飛佐助やら霧隠才蔵やら個性豊かなメンバーを従えた名武将として、フィクション「真田十勇士」でおなじみですね。この真田幸村は、「徳川ぎらい・太閤びいき」をモットーとする大阪人にとって、アンチお江戸のシンボルのよう。というのも、伝統の上方講談「難波戦記」では、彼は秀吉の子・秀頼や淀殿らを城から救い出し、薩摩に落ち延びたことになっているのです。そして、そんな判官びいきのお話をまことしやかにならしめているのが抜け穴なのです。彼が関ヶ原の戦いに敗れ、蟄居させられた和歌山県の九度山町にも、抜け穴が残っているといいます。で、「真田十勇士」や「抜け穴伝説」や「難波戦記」をミックしてみると……

九度山に蟄居せられし真田殿、豊臣家のため立ち上がらんと、秘かに掘りし抜け穴くぐり、いざ、大坂城へ(当時は“大阪”ではなく“大坂”)。従うは、忍術の名手・猿飛佐助はじめ十勇士。入城するや、大坂の町のあちこちに穴を掘り、地下に抜け道を縫って万が一の備えに。憎っくき家康大いに苦しめ、武勇伝残せど、いよいよ大坂城落城。捲土重来を期し、秀頼や淀殿など一行を引き連れて抜け穴へ。そして、果ての穴から出でて、はるか薩摩へと急いだのであった。

……となるのです。そして、そうした歴史の珍実(笑)を読み解く講談師の旭堂南海さんは、「(それらの穴の)跡を活用したのが、大阪市営地下鉄にJR東西線、キタやミナミの地下街なのだ。他言は無用であるぞよ」と、新聞で公表(笑)しているのです。 えっ? 大阪の地下空間は豊臣ゆかり! 本コラムVol.24<路面電車>で紹介したあの暗がりは、豊臣家の恨み辛みの吹きだまりだったのか。いや、捲土重来に燃えるアンチお江戸派大阪人のど根性の源泉なのか。

そういえば、映画「ショーシャンクの空に」(1994年)。妻殺しの冤罪で終身刑となったアンディ(ティム・ロビンス)は、ついには刑務所からの脱獄に成功しますが、その秘策は、独房の壁に貼ることを許されたポスターの裏に、19年かけて少しずつ秘かに掘り進めた抜け道にありました。絶望的な状況にありながらも希望を捨てず、強靱な精神力と緻密な計画力で自由を手にしたアンディ。大阪人も希望を捨ててはなりませぬ。中小企業の集積によって鍛え上げたものづくりの力なり、名にしおうお笑いの力や食いだおれの力なりを活かし、真田殿の見果てぬ夢を、いざ、果たさん。

ところで、本コラムVol.24<路面電車>では、東洋初のロボット「学天則(がくてんそく)」に触れ、そのレプリカが大阪市立科学館に展示されていることをご紹介しました。実はこのロボットも復元計画が進んでいて、実際に動くようになるそうで、来夏新装オープンする同館の目玉になるようです。今、ロボット産業に力を入れる大阪市のニューシンボルですね。真田殿も、きっとお喜びでございましょう。