Vol.3 椿[2005.3.14]
春も弥生、まだ寒いとはいえ高部のアクティビティレベルも高まり、今回は奈良まで足を運びました。大和の春を開く「東大寺二月堂のお水取り」(3月1日〜14日)が始まったのです。で、同寺開山堂は“奈良三名椿”のひとつ「糊(のり)こぼし」で有名ということで、今回は「熊本と関西の<椿>つながり」といってみましょう。なお、お水取りについての詳しいことは以下で。
http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/top.html

熊本の花で真っ先に思い浮かべるのが、清らかで優雅な大柄美女、肥後椿。およそ200年前、藩主細川重賢が武士の精神修養として園芸を奨励して以来、熊本が誇る“肥後六花”のひとつです。今、ガーデニングブームですが、もともと日本には武士によって育まれた園芸文化がありました。色、形、栽培や鑑賞の方法などいろいろ規範があったようで、まさに園芸という芸事。

重賢公は「花の心がわかる武士であれ」と諭したそうですが、それって、命あるものを慈しむ、小さく美しいものを愛でる、丹精を込める、自然とともに在る、五感を研ぎ澄ます…とか? それに芸の道なら、愚直なまでに励み、勤しみ、形を守りつつ破調や個性を漂わす…とかも? これって、日本人が世界に誇る“ものづくり”の心と通じるのでは。日本人って、対象が命あるものであれ、単なるモノであれ、そんな風に接するDNAを持ち合わせているのかもしれません。絶やしたくないですね。

さて、奈良三名椿とは、東大寺開山堂の「糊こぼし」のほか、白毫(びゃくごう)寺の「五色椿」、傳香(でんこう)寺の「武士(もののふ)椿」の三つ。「糊こぼし」は糊を散らしたような模様のある椿。お水取りでは行に用いる椿の花を和紙で作るのですが、誤って紙に糊をこぼしたようだということから。「五色椿」は樹齢400年の木に赤、白、桃色、斑入りと色とりどりに大輪が開花。「武士椿」は普通の椿のように花首をぽとっと落とさず、花も盛りにはらはらと花弁が一枚ずつ散るので、その潔さを武士の心に喩えての命名だそうです(桜みたいなものかな)。

そういえば、椿は花が落ちるので不吉だとか、首切りに見立て武士が嫌ったという話を聞きますが、史実とは違うみたい。もともと椿は霊木として神聖視されてきましたし、凛とした花姿は茶人にも武士にも好まれたのですから。逆に、高まる一方の椿人気が人心を乱したので、加熱ブームを抑えるため江戸幕府が、縁起が悪いという噂を流したという説を聞いたこともありますが、真偽のほどはどうなのでしょう。とにかく、色も姿も美しいまま、惜しげもなく未練もなく落ちる椿の潔さ、私は好き。普通の椿こそ武士に喩えてよいのでは、と思えます。

椿の落下で思い出すのが寺田寅彦。熊本五高時代に師、夏目漱石と出会い、影響を受け、科学随筆という新分野を開いた科学者です。彼は五高時代、漱石の句「落ちざまに虻(アブ)を伏せたる椿かな」を巡って仲間と徹夜で議論したそうで、後年、観察と実験をもとに、椿の花は木が低ければ俯きに落ち、木が高いほど仰向きに落ちる比率が大きいと結論づけました。落ちるリンゴをふと見たニュートンとは違って、その瞬間見たさに椿に目を凝らして過ごすこともあったのでは。科学者らしい根気強さ、集中力でしょうが、スローライフ的でいいな。文豪漱石の観察眼もさすが。それに、瞬間を17文字の風雅に昇華させる俳句を生み出した日本人って、やっぱ凄い。


奈良といえば大仏を思い浮かべる人も多いのでは。その大仏さまと、ここ東大寺の大仏殿でお会いしました。私は中学校の修学旅行で訪れて以来、随分と久方の再会。
東大寺開山堂。お水取りの二月堂の向かいにあり、公開は12月16日のみなので門から撮影。手前中央の燃え残り松明は、去年のお水取りで使われたものだそうです。

※私の今回の奈良行きは、三名椿の開花には少し早い3月2日。東大寺開山堂の「糊こぼし」は門から中を見るにどれだか認識できず、「武士椿」の傳香寺は幼稚園を経営していることから、時節柄、公開日以外は関係者しか中に入れず、ちょっと遠方の「五色椿」の白毫寺までは足が伸びずと、実は、三名椿には会えずじまいの、間抜けな椿紀行でした。