Vol.21 <豆腐余話>[2006.8.22]
残暑厳しく、冷奴も美味しいということで、前回テーマの豆腐をまた俎上へ。豆腐といえば、ある小説の一説が私には妙に記憶に残っています。もう随分前に読んだ、明治の女流作家、樋口一葉の『にごりえ』です。主人公は、わが身を嘆きながら明け暮れる色町のお力。彼女に入れあげて落ちぶれた所帯持ちの源七に、最後は殺されます。源七も自害。納得ずくの心中なのか、無理心中なのか、一葉は何も言わずに物語を終結。哀感だけが胸を打ちます。社会の底辺で悶える女を描いた名作ですが、無粋にも、私には豆腐と結びついた作品なのです。
■『にごりえ』は青空文庫から
http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/387_15293.html

布団屋から零落し日雇いの力仕事をしていた源七を力づけようと(ちゃんと仕事をして稼いでもらおうと)、女房は彼の好きな冷奴に青じそをのせて供すのですが、源七は箸が進まない。と、女房が、力仕事をする者が三膳の御飯が食べられないことはない、と嘆くくだりです。「えっ、冷奴だけでご飯三膳も食べるの?」と引っ掛かったのです。大好きな○○だけでご飯三杯という人は確かに居る。冷奴だけでお酒をちびり、などというのもわかる。が、私の知る昔ながらの豆腐でご飯三杯なんて、なんとも侘しい。落ちぶれた所帯の侘しさというより、飽食の時代からは想像できない、明治時代の庶民のつましい食に思いが及んだからだと思います(先の戦争時はその前後も含めもっと厳しかったでしょうが)。

で、今あらためて読んでみると、「ご飯三膳」とは「お茶碗三杯のご飯」ではなくて、食膳が三つ「朝昼晩、三度のご飯」の意味? 「ご飯いっぱい」の比喩? おかずは本当に冷奴だけ? 漬物とか汁物とかもあって、いわゆる一汁一菜? ご飯といっても白米じゃなくて麦飯? と疑問噴出。それに、貧乏なのに青じそをちゃんとのせるって、日本人ってやっぱ情緒あっていいよな、などなどと重箱の隅をつついている自分がいます。
こういう時は、スーパーマンを呼ぼう。私の場合は、伊藤洋先生です。現時点でもう80万部も売れている『えんぴつで奥の細道』(ポプラ社)を監修された方。この本は、書家の書いた「奥の細道」の手本文字の上を鉛筆でなぞって書きながら読んでいくという“読む+α”の元祖本。ぬり絵同様読み手の“行動参加型”が受けて、大人気です。で、伊藤先生は前山梨大学副学長で、工学博士にして芭蕉の大ファンというユニークなご経歴。先生のホームページには、芭蕉に関する国内最大級のデータベースもあれば、「方丈記」「徒然草」も。ほかにも見識と機知に富んだ著述がいっぱいです。
■伊藤先生のホームページ
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/itoyo.html

数年前、ひょんなご縁からネット上で知り合いになったこの先生が、今回も私の“重箱の隅つつき”に付き合ってくれました。ご回答から主な内容をご紹介すると、

●このシーンは、妻の献身と意地と嫉妬とがごちゃ混ぜになったすばらしい箇所ですね。それに引きかえ亭主の生彩の無さは対照的です。時代の変化についていけず、お力には袖にされる、完全なアパシー状態にあるというわけですから。
●「三膳」はこの食事シーンの間に三杯のごはんを食べるということでしょうね。ただし、文脈からして、源七が本当にせっせと「力仕事」をする労働者であれば、三杯飯を食うはずだということでしょうから、ぐたぐたしている今の源七が三杯食えないのは、女房子供を食わせるだけの稼ぎの無い男への挑発的激励も込められていると見ますがいかがでしょう。加えてもうひとつ、源七はお力への結末の悲劇につながる計画が腹の中に兆してもいたでしょうから、もはや食欲を鼓舞する元気はありません。
●三杯は特に大食いということではないでしょう。だから、裏に「たった」という言葉が添えられているかもしれません。
●この食事で冷奴が出たことは、どちらかといえば、「豪勢」な食事だったのではないでしょうか。だから、当然、食卓にはほかに香の物や汁物も添えられていたことでしょう。お椀の中に眼玉が映るような代物だったと想像されますが。
●当然、麦飯でしょうね。それも、原麦<ゲンバク>といって、押し麦のままですね。麦は、精麦した後にローラーで押しつぶして平麦にして食べます。それでも、真ん中にある筋が食べにくいので、私の友人の会社である「はくばく」は、麦を真っ二つに割る技術で白麦としたのです。サッカーのヴァンフォーレ甲府のユニフォームスポンサーの「はくばく」ですがね。カロリーはあるが消化がよくすぐにお腹が空いてしまいます。だから労働者は三杯飯を標準とする大食いだったのですね。
●青じそをのせた冷奴という、昔を偲ばせる食材も、この家族にとってはいまや高級料理。源七を激励する女房の腕の見せどころだったのでしょう。この場面の直後では、お力ら女郎を非難する核心部分へとつながります。

「冷奴だけでご飯三膳?」の無邪気なたわいない疑問にもかかわらず、格調高いコメントをちょうだいしました。幅広い知識と瑞々しい感性があれば、行間はこんなにも深くなるのか、と感心しきり。とまあ、豆腐から広がったお話でした。

今、スーパーでも昔ながらのものからこだわりの逸品まで、いろんなお豆腐が手に入ります。酷暑の今晩、食卓へ冷奴はいかがですか。源七の女房はその豪華さをアピールしたようですが、今はこだわりの逸品ならちょっとした贅沢感。それでも家計にやさしい安い食材にして、身体にもやさしい大豆タンパク。愛情の一品であることに違いはないでしょう。