Vol.20 <豆腐>[2006.6.20→7.20一部改訂]
ハラハラドキドキ、立ったり座ったり、どうにかなりそうだったサッカー・ワールドカップ、日本VSクロアチア。白熱戦を観終えて、今、このコラムの原稿を書いています。言葉も論理も超えて人々を感動させるスポーツに、結果がすべての非情で残酷な世界にかける選手たちに、ただただ圧倒される思いです。

この後、日本は“蘇生(奇跡!?)の勝利”に湧くのでしょうか、“敗者の美学”を語ることになるのでしょうか。スポーツジャーナリストの二宮清純さんは、常々、敗者を美化する日本人のメンタリティを苦々しく思い、敗因や責任について感情に流されず理性的に考え変革する「勝者の実学」を提唱しています。「結果の平等」ではなく、敗者も勝者になりうる「機会の平等」を、という社会活性化のための主張でもあるようです。

ところで日本人の敗者の美学の根っこにあるのが、滅びの美学。もののあわれ、無常観といった情緒ですよね。となると、祇園精舎の鐘の音が聞こえてきませんか。『平家物語』です。で、今回は、平家落人にちなんだお豆腐のお話をしましょう。

大阪市24区のひとつ東住吉区にある長居公園は、大阪を代表する公園のひとつ。スポーツ施設、植物園、自然園が広がり、サッカーではJ1セレッソ大阪の本拠地です。この公園の近くに、熊本から取り寄せる“半年前の豆腐”を食べさせてくれるお店「ふくでん」があると新聞記事で見かけ、先月、訪ねてみました。焼酎・地酒、そして家庭料理が自慢のお店です。

半年前の豆腐とは、豆腐をもろみ味噌に漬けたもの。熊本県の山間一帯に伝わる豆腐の保存食で、平家落人たちが生み出したものだそう。チーズのようでもあり、うにのようでもあり、もろみのコクがネト〜と染み込んだ、濃厚にしてまろやかな味わいは絶品。メーカー2社の2種を供してくれましたが、いずれもめっぽう旨い。沖縄の“豆腐よう”は通向けだったと記憶しますが、これならご飯にも合って万人向け。本来の平家落人の製法に近いという、少し堅めのものも味わわせていただきました。

中国で生まれた豆腐が日本にやってきたのは奈良、平安の頃ですが、ずっと贅沢品だったようで、本格的に庶民の食べ物となったのは江戸時代になってからだとか。都落ちした平家の人々にとって豆腐はかつての栄華の味。それを長持ちさせる知恵が、もろみ味噌漬けだったわけですね。

ところで、豆腐は今ではTOFUという世界共通語になり、健康食として人気ですが、その功労者である“ミスター・トーフ”と呼ばれた男の著書『豆腐バカ 世界に挑む』(雲田康夫著、光文社発行)が、これまためっぽう面白かったです。森永乳業の社員だった雲田さん、同社開発の長期保存豆腐「無菌包装パック」をアメリカで売るべく、1985年から孤軍奮闘。苦節20年の成果TOFUという英語の普通名詞に結実しているわけですね。

なぜ、アメリカで? 「中小企業分野調達法」という、豆腐屋さんなどを保護する法律のために日本での販売がままならなかったからです。で、未開の市場アメリカへ。当初は「家畜のエサ」だの、「アメリカ人の嫌いな食べ物No.1」だのと屈辱のブーイングを浴び、街を荒らした暴徒にも見向きもされない存在だったのですが…このお話、長くなりそうなので、この辺で。ともあれ、頭にハゲをつくるほど悩んでも、挫折という言葉のある辞書は持ち歩いていなかった企業戦士、雲田さん。「勝者の実学」を体現した一人と言えそうです。

●「ふくでん」は10人ほど座れるカウンターだけの小さなお店ですが、マスターが選び集めた焼酎約700種が鎮座。そのメニューがこの赤い巻紙。増えるたびに紙が継ぎ足されたようで、店の奥行きよりも長そう。この日、私は、同じ年で同じ頃に在熊経験を持ち、大阪で知り合った長年の友人と一緒でした。私「大分県の焼酎から、ええ?」。友人「ええよ」。で、マスターおすすめの焼酎を所望。私「次は熊本やな」。友人「そやな」。私「焼酎ゆうたら、やっぱ鹿児島もな〜」。友人「そうやな」。友人「ほな、沖縄まで行こか!」。私「そやな、泡盛も!」。ということで、九州4県焼酎巡り。私の出身地を先に回っておいて、彼女の福岡県を忘れていた。ゴメン!! またの機会に。