Vol.8 <鱧(はも)>[2005.7.15]
紅顔の美少年、天草四郎の殉死など隠れキリシタン哀史に彩られた…などと、つい感傷的な修飾語をつけたくなる天草ですが、活気ある漁場であることも忘れちゃいかんばい。テレビ番組で天草の漁師さんが「ここは海が浅かけん、太陽の光ば届いて黄金になるわけたい」とか言って“黄金の鱧”をうれしそうに紹介していました。そんな天草産の鱧が、関西にも多く出回っているそうなのでぜひ食べたいと、7月7日、七夕の夕べ、京都のある料理屋の暖簾をくぐりました。

7月に入ると、京都は「祇園祭」一色。古都の歴史が香る、この豪壮かつ華麗な祭は、別名「鱧祭」とも言われるほど、鱧は京都の夏に欠かせない食材なのです。交通手段があまり発達していなかった昔でも、生命力が強い鱧は、瀬戸内海から京へ運んでも生きていたことから、鱧を食す文化が発達したそうで、今でも淡路産などが中心ですが、九州産も珍重され、近年では韓国産も多いとか。九州産の中でも「天草産を食べたい」という私の要望に応えてくれたのが、インターネットで探し出した「かふう」という料理屋でした。http://kafuu.jp/index.html

天草産の鱧は初めてというご主人。よく脂がのっていると褒めながら、あれやこれやの包丁さばき。それを眺めながらカウンターにかけての鱧三昧コースです。一品一品がどれほど美味しく趣向に富んでいたかは、上記サイトを見ながら想像していただくとして、ご主人の料理振りもなかなかの味わいでした。というのも、カウンターは板前さんのパフォーマンス劇場。ご主人の一挙一動は単なる作業というより、お茶の点前でも拝見しているような感じで、いわば、料理道の所作のように見えてきたのです。

しっかりと手ごたえを感じながらの職人の仕事ぶりは、見ていて清々しい。料理が好きで、とても誇りにしている。そんな料理への愛情と自信がうかがえます。この店で食べようと決めた女将とのメールのやりとりでも、同じようなものを感じました。自分の好きなことをしているから、自分のことも好きだし、人にも喜んでもらえる。とても幸せなことですね。そんな幸せを実感できている人は、陰湿ないじめや理不尽なバッシングをして他人にかまっている暇などないはず。いじめやバッシングが絶えないのは、残念ながら世の中、幸せ不足の人がいるからなのでしょう。

自分の好きなことにずんずんと近づいていける若い人が少しでも増えますように。店名「かふう」が、ご主人の好きだという永井荷風にちなんでのネーミングだと知ったこともあり、社会一般の価値観に左右されず、好きに自由に生きた風流人作家を偲んでそう思ったものでした。こうしてたっぷり2時間かけての鱧体験。久しぶりに目も舌も心も潤う日本料理の優雅なひとときでした。

店を出ると、外は雨。おり姫星とひこ星は、年に1回のデートをあきらめた? いいえ、あの話は、雨で天の川が増水して渡ることができなくなっても、カササギが二人の橋渡しをすることになっているそうです。私は料理屋「かふう」さんのおかげで、30数年ぶりに、在熊中に知らずに過ごした熊本の美味に、巡り会うことができました。
鱧は小骨が多く、骨切りが必要。小骨は皮ぎりぎりまで伸びているので、専用の包丁で皮一枚を残し、数ミリ間隔で身と骨を切る。「ジャキジャキ」「シャクシャク」とリズミカルな音が出て小気味よい。包丁は骨を切っても欠けないよう厚い。重量感もある。ご主人が私にどうぞとその包丁を持たせてくれた。手入れが行き届いていて、長く、いかつい。恐る恐る手にする。包丁は板前さんの命。そんな大事なものも加わっていたのか、ほんとずっしりと重かった。
コースの一品「茄子そうめん焼鱧」。焼鱧は、わざわざ天草産と徳島産の食べ比べという趣向で調理してくださった。残念ながら味の違いはわからなかったが、心遣いがうれしかった。茄子はカツラムキにして短冊に切り、葛をつけて湯引きする。つけ汁は、出汁・薄口しょうゆ・みりんが4:1:1に酒少々だとご主人の直伝。熊本にも京都にも有名な自慢の茄子がある。「肥後紫」VS「加茂茄子」。肥後紫が手に入れば、茄子そうめんで食べ比べをしてみようかな。