Vol.55 遥かなるスティーブ・ジョブズ(後編)[2011.10.27]
 ジョブズを追悼するにあたって、「超人伝説」なる特集で彼を讃えるメディアがあるかと思うと、「奇人変人悪人伝説」なる特集でこきおろすものもあります。コラムニストの小田嶋隆さんも言っているように、彼の真骨頂はきっとこうした「毀誉褒貶(きよほうへん)のうちにある」のでしょう。多くの人が、彼のことをそしり(毀)、ほめ(誉・褒)、けなし(貶)ながら、亡くなった人なのに、亡くなったが故に、目が離せないというわけです。

 その実、ジョブズが全面協力した10月24日世界同時発売(関西では25日に発売されました)の評伝に予約が殺到。前日23日の新聞によると、日本での予約部数は、第1巻が20万部、第2巻(11月1日発行予定)が15万部で、評伝では異例の大部数とか。すごいですね。私はその予約者の一人ではありませんし、発行された今も読んだわけではありませんが、ジョブズ・ブームに乗ってしまった以上は、さあ、続きを急ぎましょう。

 
CONTENTS
 
2.
西洋的で東洋的なジョブズ
 
@
拝金主義・物質主義に陥ることのなかったビジネスの天才。
 
A
ジョブズにとって禅の無我は、西洋的自我全開の悟り。
 
B
シンプルで美しい。利休の茶会の一輪の朝顔のように。
   
C
ジョブズに「犬の糞」と一蹴されたステージの花。
   
D
サービス精神が込められたものは、誰だった欲しくなる。
  3. 私のマック体験
   
@
私の世界を広げ、甥や姪に新しい遊びをもたらした。
   
A
人類の幸いなる知の結晶として、情報通信技術の発展を。



2.西洋的で東洋的なジョブズ

 ジョブズに関する情報で、私が特に興味が惹かれたことは、彼にはさまざまな側面があり(それが毀誉褒貶につながるのでしょうが)、「東洋」と「西洋」など矛盾するものを併せ持っていたということです。ここではそんな観点からジョブズについて書いてみたいと思います。

@ 拝金主義・物質主義に陥ることのなかったビジネスの天才。

 前編でジョブズが禅に傾倒していたことに触れましたが、欧米では1950年代から禅のブームが起きています。そして60年代から70年代にかけて、既成の社会体制や価値観を否定し、自然回帰や愛と平和と自由を叫ぶヒッピー・ムーブメントが盛んになり、そうした風潮と共に禅への関心はどんどん広がったようです。55年生まれのジョブズは、そうした時代の空気を吸いながら成長し、青年期を迎えます。

 大学を半年で退学したあと、ヒッピーのような生活を送りますが、そのかぶれ方は半端じゃないです。インドに渡って放浪、修業したり、LSDなどサイケデリック・ドラッグに手を染めたり、果物だけ食べるような健康法に凝ったり、裸足で過ごしたり(この辺も伝記で詳しく語られていることでしょう)。アップルを起業せずに、日本の禅寺で修業しようと本気で考えりもしたそうです。

 ニューズウィーク日本版の言を借りると、「ジョブズはビジネスの才能と矛盾するようだが、カウンター・カルチャー(反体制文化)に強い関心を持っていた」わけであり、それをずっと引きずり、「相反する2つの世界への興味という矛盾を解決することなく、心の中に持ち続けていた」ということなのです。彼が、お金のために仕事をするよりも宇宙に衝撃を与えるような製品をつくるために仕事をしたことや、億万長者になってからも大豪邸とは無縁の家に家族と住み、極力贅沢品を持たない質素な生活を送ったことなどは、まさにカウンター・カルチャーの人です。

 一方、製品開発や経営において既成概念にとらわれることなく、自分の考え方や価値観に従って手腕をふるい、社会改革をも起こす事業を成し遂げたことは、従来の、あるいは、本来のビジネスの定説とカウンター・カルチャーのアンチテーゼの両方を取り入れた、彼ならではのビジネスの才能だった、ということになるのでしょう。

 そういえば、マイクロソフトのビル・ゲイツはジョブズと同じ1955年生まれですが、裕福な家庭に育った優等生の彼には、カウンター・カルチャーだの、ヒッピーだのといった時代の空気はあまり好みではなかったのでしょうね。ジョブズの評伝には好敵手だったビル・ゲイツとの長年の交流も描かれているとのことですが、ほんとなにもかも対照的な二人です。

A ジョブズにとって禅の無我は、西洋的自我全開の悟り。

 ジョブズが本格的に禅に傾倒するのは、アップル追放時代です。新しい会社が思うようにいかない時期でした。日本人の禅僧、乙川弘文と出会って指導を受け、救いを見出したそうです。両者の親密な関係は乙川禅師が2002年に亡くなるまで続き、乙川禅師はジョブズとローレーンの結婚式を執り行い、また、ジョブズの葬式は、乙川禅師の葬式を執り行った日本人僧侶に依頼して行われました。

 ジョブズと乙川禅師がいかに強い絆で結ばれていたかが偲ばれます。また、ジョブズに日本や日本人とこんな深い関わりがあったことに驚きますし、また、私を含む多くの日本人以上にアメリカ人の彼が禅への造詣が深かったことを思うと、うれしいような口惜しいようなちょっと複雑な気持ちです。で、ここは私、厚かましいのですが思い切って禅を語らせてもらいたいと思います。関連本を参考に付け焼刃の皮相な知識で知ったかぶりしますが、お許しください。

 まず、禅の心が分かるとされている「十牛図(じゅうぎゅうず)」という10枚の絵があります。「悟り」を牛に例え、修行者が悟りへ至る道筋を示した図です。
▼十牛図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3

 私流に簡単に解説すると……牛を探しに出て(悟りを求めて)、その所在の手掛かりをつかみ、頑張って捕まえようと努め、うまく捕まえることができた。これで安心。家でくつろいでいると、牛のことなど忘れてしまった。さらには自分さえも消えてなくなり、すべてが無になった。すると、自然の美しさが現れた。そこで、こんどは村に出た。人に出会うと自ずと心が通じ、その人を導くこととなった。

 そんな感じでしょうか。この「悟り」とは、「自分を見出すこと」であり、しかもその自分とは「仏性(ぶっしょう)」即ち「本来的に仏の心を備えた自分」です。つまり、現世的な執着を断ち切った「あるがままの自分」になることが「悟り」だというのが禅宗の教えです。

 で、ここに西洋と東洋の大きな違いがありまして、禅の「あるがままの自分」とは西洋の「自我」に対して「無我」だということです。西洋の自我は「宇宙の全てと対立する存在」ですが、無我は「宇宙の全てと一体」です。十牛図8番目のように全てが無になった無地の円、即ち「空」が無我の境地であり、だからこそ自意識が消えて9番目のように己も溶け込んだ美しい自然が現出するわけです。

 ああ、なんだかややこしくなりましたね。私が言いたかったのは、周囲と妥協せずエゴを貫いてきたジョブズが、こうした禅の世界をどのように受け止めていたのか不思議だな、ということです。この点については、彼は全く西洋的な自我を持ったままだったのではないでしょうか。そして、自我を消さないジョブ流の無我の境地に至った。ひょっとしたら自分が宇宙そのものであるとする超巨大自我か!? と思ったりもしてしまいます。

 また一方で、彼は製品開発などで優れた直感力・洞察力を発揮しますが、そうしたセンスやインスピレーションは禅の理解において重要な素養であり、禅の修行によって磨かれたものだと言って良いのかもしれません。もっともそれこそジョブズの天与の才だったのかもしれませんが、少なくとも彼はオイゲン・ヘリゲル著『弓と禅』を愛読していたとのことなので、学び、修練したのも確かなようです。

 この『弓と禅』は、私は未読の書ですが、大正13年から昭和4年まで、日本の大学で哲学を教えたドイツ人の著者が禅に興味を持ち、その一環として弓道を習ったときの体験談です。師の教えに、西洋人の論理的な思考と方法論が通用せず、うち負かされるのですが、ついには禅の無、武道家の無心の域に達するそうです。

 ジョブズが一度は足を突っ込んだヒッピー文化は、もともと論理よりも直感、理性よりも感性を拠り所にしていると思いますので、ジョブズにとっては西洋人の論理的思考や方法論が通用しない禅の世界は、ヘリゲルとは違って戸惑いよりも大いなる魅力だったことは想像できます。

 こうしてジョブズと禅について考えていくと、一つ面白いことに突き当たります。ジョブズの場合、製品やサービスはもちろん自分の生き方を通じて多くの人々を自分の世界の虜にした、つまり、自分の世界へ導き入れたことを考えれば、彼がたとえ西洋的な自我のままの人であったにしても、彼流の無我、悟りを得て、十牛図10番目のエンディングをしっかり実践したのではないか、と思えることです。しかも前編で述べたように、晩年の彼は修行僧にして導師のビジュアルよろしく、それをやってのけたというわけです。

 ところで、ジョブズは今年6月にiCloudなどの最後のプレゼンテーションを行いましたが、同じく6月、米サンフランシスコ州クパチーノ市の市議会において、アップルの新社屋「スペースシップ」の建築計画の承認を求めたプレゼンもしています。
▼アップル新社屋「スペースシップ」の建築計画
http://dt.business.nifty.com/articles/6032.html

 ご覧のように、新社屋「スペースシップ」はリング状の先進的なデザインで、彼は「森に着陸した宇宙船のようだ」と表現したそうです。大きな円を立体にした、まさに3次元の「一円相(いちえんそう)」です。禅における書画の一つであるこの一円相は、図形の丸を一筆で描いたもので(はい、要するに、ただの ○ です)、悟りの形象であり、即ち、十牛図の8番目の無我の境地ということです(もっともこの一円は、悟りや真理、仏性、宇宙全体など、その解釈は見る人に任されるそうですが)。

 2015年完成予定の新社屋「スペースシップ」。完成してもジョブズの姿をそこに見ることはできません。ジョブズ自身は、自分のすべてを象徴するようなこの建物の中に自分が存在できないことを思ったとき、どんな気持ちだったでしょう。この世への未練? 口惜しさ? あるいは、日本人的な人生の無常に駆られたでしょうか。それとも、そうしたことは超越し、すべての執着を絶って悟りの死に向かったのでしょうか。彼の心は分かりませんが、少なくとも多くの人が、スペースシップを拠点にさらに新しい世界へ誘うジョブズの姿を見たかった、と思っているのではないでしょうか。

B シンプルで美しい。利休の茶会の一輪の朝顔のように。

 「製品はシンプルで美しくなければならない」。それがジョブズの美学・哲学でした。しかも、表面だけをシンプルに見せるのではなく、内面のシンプルさが表れたものがアップル製品の神髄であり、ジョブズのデザイン戦略でした。ニューズウィーク日本版で見かけたある専門家の寄稿によると、「アップル復帰後はデザインを新たな次元へ引き上げ、21世紀のテクノロジーの美学に絶大な影響を与えた」「デザインの力を利用して人間の行動を変えようとした。そして、その革新的なデザインに触れたユーザーの行動は実際に変わっていった」ということのようです。

 ジョブズ語録に「どれだけ良いアイデアを殺せるかが勝負だ」といった言葉があります。彼は常に物事を単純化・簡略化するミニマリスト(最小限主義者)であり、プレゼンも大きく3つのグループに分けて行う「3点ルール」を守っていたようです。前編で紹介したスタンフォード大学でのスピーチも3つにポイントに分けて話していて伝えたいことが分かりやすいですね。シンプルデザインの追求と同様、こういったことにもやはり禅の精神、ないしは、日本文化の影響が見られるといっても良いようです。

 限りなく無駄なものを排して本質のみを残す「究極のシンプリシティ」といえば、利休の「朝顔の茶会」を思い出します。茶の湯はもちろん禅と結び付いた文化です。どんな話かというと――利休の屋敷の庭一面に咲く朝顔が大変美しいという評判を聞き、「見に行きたい」と申し入れた秀吉。行ってみると、庭に朝顔は全く見当たらない。怒りもあらわに茶室に入った秀吉。目にしたのは、床に一輪生けられた朝顔の花だった、というものです。

 利休は前日中に庭の朝顔を全部切り取っていたのです。そして、一輪のみ生け、庭一面に咲き誇る朝顔とは違う、朝顔そのものの美しさを際立たせたというわけです。怒っていた秀吉もその美に息を飲み、返す言葉もなかったそうです。何事も華美好みの秀吉に対する、利休の無言の諫言であり、ちょっと意地悪な皮肉や嫌悪からの行為だったのかもしれません。切り取られた朝顔がもったいないとか可愛そうとかはさておいても、嫌味な感じがしないでもないですが、さすがは利休、天晴れです。ジョブズが禅の学びの中でこの話を聞いたとしたら、豪華より簡素、量より質を重んじる利休と茶の湯に、打ち震えるような共感を覚えたのではないでしょうか。

C ジョブズに「犬の糞」と一蹴されたステージの花。

 秀吉といえば、天下を取ったあとはわがままで短気な面が出ていたと思うのですが、ジョブズの短気も有名です。「朝顔の茶会」の話をしたのでジョブズと生け花の因縁話もしましょう。特に長年、花に親しんでいる私には大変興味深いお話でした。

 日本でジョブズがNeXTの発表会を行ったときのエピソードです。糸井重里さんのサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』の「マイクロソフトの古川会長がやってきた」(1999年の連載)という、当時、同職にあった古川享氏のインタビューの中で、思い出話として出てきます。

 発表会のお膳立てはキャノン販売が全て行い、ステージには人間国宝級の生け花の名手による素晴らしい花が飾られていたそうです。ところが、リハーサルに来たジョブズはこの花を見るなり激怒。「この犬の糞を積み重ねたような醜悪なものをすぐどけろ。このことを、正しく通訳して、帰ってもらえ」と通訳に言ったそうです。しょうがなく通訳はその通り伝えると、花の名手は青筋を立てて帰ったということです。

 そこで古川さんは、ジョブズのことを「自分自身のライフスタイルなり、信条と合わないものに対する拒絶反応。それをどういう形で伝えるかというとき、ものすごくストレートなやりかたをする人なんですよね」と寸評しています。

 ほんまになんちゅう、ジョブズでしょう。彼の“冷酷自己中”“一徹一貫”を見事に物語るお話ではありませんか。そして、短気も甚だしい。その花がどんな花だったのかは分かりませんが、きっと見事な大作だったのだろうと思うと、利休の「朝顔の茶会」とは逆バージョンのお話しのようにも思えます。

 このエピソードについて、とても知的刺激に富んだブログ「月明飛錫」に、的確なコメントがありました(逍花さんというこのブロガーは生け花の道もかなり修めているようで、花作品も素晴らしいです)。
▼逍花さんの「月明飛錫」
http://d.hatena.ne.jp/Syouka/20111008/1318086906

 生け花に関する逍花さんのコメントはさすがですし、「(ジョブズが)自分よりも目立つようなものがステージ上にあることを嫌ったのではないか」「もし壇上に飾られていた生け花が、花をてんこ盛りにしたようなものであれば、シンプル好みで美意識が高く、プレゼンにこだわりのあるジョブズが、『犬の糞を積み重ねたような醜悪なもの』と言ったのも、わかるような気がする」とのコメントに、僭越ながら私も大いに頷いた次第です。

 ステージを用意した日本側の読みの浅さというか、舞台づくりの慣例踏襲も問題だったのかもしれません。それにしても、私であれば(いや、強調性を重んじ、和を以って貴しとなす日本人や日本人の組織の多くは)、もし他者が用意してくれた場、もしくは、他者に一任した場が、意に沿わなかった場合、衝突を避けるためこちらのこだわりをひっこめて仕方なく受け入れるか、なるべく穏便に済むように何らかの妥協策を探るか、あるいは全く変えてもらうにして、どうやって相手を傷つけずに修正させるかに心を砕き、しどろもどろに言葉を費やし、後味の悪さを残しそうです。

 この発表会はジョブズNeXT時代の90年前後とか。彼の禅修行がどれだけ進んでいる時期だったかは分かりませんが、ジョブズという強烈すぎる個性の西洋的自我全開のエピソードでした。

D サービス精神が込められたものは、誰だった欲しくなる。

 さて、単純化・簡略化をモットーにしたジョブズの話に戻りましょう。それは決して細部を切り捨てるということではありませんでした。彼はハード・アプリ・周辺機器・広告など全てにこだわり、それぞれの細部にまでこだわりました。「複雑なものを内包する単純」とでもいうのでしょうか、やはり禅の教えである「一即多 多即一(いっそくた・たそくいつ)」に通じます。宇宙の全てはお互いに交じり合いながら流動しており、極小の「一」に無限大の「多」、すなわち、一切合切が含まれ、全ての「多」のなかに極小の「一」が充溢している、というわけです。

 ジョブズは、「私たちの仕事は、使ってくれる人の心地よさに完全な責任を持つことだ」とも言っています。そのため、隅々にまでくまなく行き届かせた作り手の意識が、使い手を無意識のうちに心地よさへと誘っていた、そんな構図がアップル製品なのかもしれません。

 これはつまりは“サービス精神”ということです。日本のインダストリアルデザインの重鎮である栄久庵憲司さんは「ものにサービス精神が込められていれば、だれもがそれを欲しくなる」と言っています。さらに、日本のモノづくりにはこのサービス精神が生きていること、そして、それは「営々と築き上げた農耕文明の中で培われた素質」だと指摘しています。

 なぜなら、私たちの祖先の農耕文明は、他国とは比較できないほど手間暇かける高度に複雑なものだったからです。言うまでもなく、それはその収穫物であるお米の美味しさに、また、そのお米を美味しくいただくために工夫と情熱を傾ける電気釜の開発にも結実していますものね。

 ジョブズに負けることなく、日本人のDNAを絶やすことなく、もっともっとモノづくりにサービス精神を!! と、祈りたくなります。

3.私のマック体験

 最後に、私の極めて個人的なこととして、マック体験というかユーザーとしての思い出などを述べたいと思います。

@ 私の世界を広げ、甥や姪に新しい遊びをもたらした。

 私はライターであり、広告や出版などの世界の端っこにいる人間です。クリエーターさんやフラフィックデザイナーさんと一緒に仕事をしており、周囲にはマック信者、マックフリークといったコアなファンもいっぱい存在するという、ウインドウズ派よりマック派の世界の中でずっと仕事をしてきました。

 とはいえ、私自身はライターですので、IT潮流の中では初期のころは長くワープロ専用機で仕事をしてきました(余談ながら、ライター以前はタイピストの仕事を主とするOLでしたので、日本語は文字盤から文字印を一つひとつ拾っていく手動タイプの時代、英語は磁気カードを記録媒体とするIBMの電動タイプの時代も経験しています。古いですね)。また、ライターの仕事分野としてITビジネスの仕事も多かったのですが、テクニカルライターのようにパソコンや技術に詳しい人間ではありません。

 そんな私がそろそろパソコンを、と思い立ったとき、やはり、買いたかったのはマックでした。そして手にしたのが、1993年発売のLC520(ジョブズたちが喝采を浴びた初代マックの血統ですが、ジョブズ不在時代の製品ですね)。本当にうれしくて、楽しくて、自慢でした。

 大阪在住の二人の弟の子どもたち、まだ幼稚園や小学校に通っていた甥と姪、4人たちにとっても、私のSOHOに来るときにはお目当ての遊び道具でした。だってマックでのお絵描やゲームによって、彼らは経験したことのないワクワクとドキドキを味わうことができたのですから(そのころファミコンがかなり普及していたと思いますが、彼らの家にはまだなかったのではないか、記憶が定かではありません。いずれにせよ、マックでのお絵描は新しい体験だったのは確かです)。

 無茶苦茶に扱われては困るので「おばちゃんの仕事道具だからね」と厳しく断っていたように思いますが、壊れることもなく、そのうち私はウインドウズも買ったので、マックは遊び道具専用になったと記憶しています(その後、しばらくして廃棄)。

 いずれにせよ、私はこのマックで文章を書くだけでなく、図形なども盛り込んだグラフィック文書も手軽につくれるようになり、DTPソフトによる編集もできるようになり、言葉を操る私の世界は広がりを見せました。さらには仕事がらみでパソコン通信も始めることとなり、仕事場に居ながらにして遠くの人のパソコンとつながるようにもなりました。ITの光を存分に浴びさせてくれたマック。ほんとありがとう、と言いたいです。

 その後、私のITツールは数代のウインドウズを経るのですが、1997年にジョブズが復帰し、98年にiMacが登場してからというもの、私もマックと復縁したい気持ちがふつふつと湧いてきました。しばらくして手にしたのが、2005年発売のシンプル極まりない小さなボックス、Mac miniです。今もパソコンデスクにウインドウズとともに置かれ、使われています。

 仕事をこなす上でマックもあった方が何かと好都合なこともあるからですが、やはりマックが欲しかったのです。ディスプレイはウインドウズで使っているものを兼用することで妥協しましたが、キーボードとマウスは純正にしました。なんかちょっと違うでしょ、そんな通ぶった他愛もないミーハー心からです。これらが梱包されていた箱までもあまりにも素敵でカッコ良くて、私はいまだに捨てることができません。もっとも、これは単に私が生来“もったいない病”を患っている故かもしれませんが。

 以上が私のマック体験です。自分の周りのデザイナーたちなど一部の通の人たちの価値観におもね、無自覚にマックを取り入れたのかもしれませんが、やはり結局は、私もジョブズの布教活動に心をつかまれた信者の一人、ということかもしれませんね。

A 人類の幸いなる知の結晶として、情報通信技術の発展を。

 ところが、近年のiPodやiPhoneといったコンピュータの進化形のようなものには、あまり食指が動きません。スマートフォン自体は足掛け3年使っているのですが、iPhoneではありませんし、必要最低限の機能しか使っていません。その他のアップル製品等による音楽や読書やビジネスなどの新しいスタイルにはまだまだ馴染めませんし、もう手を出すことはないかもしれません(ひょっとしたらまた欲しくなる可能性もありますが)。

 年齢的に新しいものへの対応力や受容力の限界が来たのかもしれませんし、慣れ親しむための時間的余裕がないこともあります。そうした意味でも、このコラムのタイトルにあるようにスティーブ・ジョブズは遥かなる存在に思えるのです。

 あの欠けたリンゴのトレードマークについてアップルは公式見解を示しておらず、ジョブズをはじめ設立メンバーが好きだったというビートルズが設立したレコードレーベル(アップル・レコード)にちなむとか、英語圏の子どもが最初に覚える文字が「AppleのA」で覚えやすいから…など、諸説伝えられているそうです(評伝で明らかになっているかも)。

 そしてまた、アダムとイブが神に反逆し、一口かじったことで得た知恵・知識の象徴とする説も。そのほうがジョブズらしいですね。彼は、アップルの製品はもとよりITツールが、たとえ光と同時にネット犯罪などの影をももたらすものだと分かっていても、やはり人間の創造性を高め、人と人をつなぎ、人類の幸福のために貢献する意義のほうが大きいと考え、光を信じて突き進んできました。

 もうその光にあまり浴することはなさそうな私ですが、そうした光の将来を羨望の気持ちを少し交えながら期待しています。本コラムVol.53「3.11以降」で触れた、原発のような人類の負の遺産ではなく、幸いなる知の結晶として、さらに大きな可能性を広げていくことでしょう。



  花作品などを集めた「高部の花辺」もどうぞ。