Vol.1 熊本と関西のお城つながり
[2005.1.21]
はじめまして。大阪の高部です。これから毎月、熊本の○○に思いを馳せながら関西の○○を探訪していきたいと思います。第1回目の○○はお城です。
熊本城では毎年、天守閣から初日の出が拝めるとのこと。今年は曇り空だったのに東の空だけはぽっかりと晴れ、太陽が顔を見せたそうですね。なんとまあ喜ばしくお目出度いことでしょう。大阪城では、天守閣開放は2日の平常時間から。で、正月に大阪城を訪れるなどかつてなかった私ですが、今年は新年早々この巨城に足を踏み入れたのです。
大阪城といえば豊臣秀吉。でも、彼が築いた城は大阪夏の陣の兵火で全焼。徳川幕府が大規模な再築をするも、わずか36年で天守閣が落雷で消失。昭和6年に市民の熱意で天守閣が再建されたものの、戦災でほとんどの建造物が破損。戦後、古建造物を修復するとともに様々な施設を併設し、一大史跡公園として再生。そして平成9年の大改修により、天守閣がリペアされるとともに、閣内はハイテクなども駆使したミュージアムのように生まれ変わったのです。これがおおよその大阪城波乱万丈ヒストリー。現在の大阪城は、実は徳川大阪城を再現したものなのです。徳川氏は、豊臣氏の城を地下に埋め尽くし、格段に雄大な城を築いて権威を誇示したそうで、軍事的な砦であるとともに権威の象徴であったという城の役割を、なんとよく物語っていることでしょう。
インターネットにお城の人気投票があったのでのぞいてみました。
http://www.shirofan.com/ind/ind_best.html
堂々の不人気、ワーストNo.1は、大阪城。好きだという人も多いのですが、嫌いの理由で目立つのが、お城じゃない、高層ビルの博物館じゃないか、という意見。これって、難しいところですね。文化遺産を継承するための必要悪、みたいな面もあって。一方、熊本城は人気ベストNo.5。さすが、戦略の神にして土木・治水の神、加藤清正のお城。この美しき名城も、平成19年の築城400年に向け、かなり大規模な復元計画が進行中とのこと。楽しみですね。
ところで、秀吉の遠縁に当たり、豊臣家に生涯尽くした清正。秀吉が「認知症」(厚生労働省による出来立てほやほやの呼称変更)気味の際に下したともされる朝鮮出兵にも付き合い、本当に忠義の人ですね。“人たらし”秀吉の魅力もそれなりにあったのでしょうが、忠義という“自己実現”の道があった時代なんだ、とつくづく思います。
城内に「肥後石」と呼ばれる33畳ほどもの石がありますが、昭和34年の本格的学術調査まで、城内No.1の巨石で清正が運んだもの、と言われてきました。大阪城が徳川大阪城であり、命により諸大名が持ち場を競ったことを、ずっと誰も知らなかったのです。調査の結果、この石は岡山の池田家の担当で、巨石ランキングNo.2。熊本の加藤家は、清正の息子の忠弘が正門である大手門を担当し、中にNo.4,5,8の巨石も。ということで「肥後石」は、秀吉の忠臣といえば清正、そうしたイメージがつくりあげたひとつの伝説といえそうですね。
夜はライトアップされ、賑やかな大阪の街に異色の彩を添えます。
これが肥後石。高さ5.5メートル、最長部の長さ14メートル、約33畳・120トンもあります。巨石ランキングNo.1(蛸石)はもうちょっとだけ大きく、肥後石同様、岡山の池田家の担当です。