Vol.16 <カルタ>[2006.2.17]

立春を過ぎて、うんともすんとも言わなかった春がどうやら“う”くらいは言いかけているのかなと思う今日この頃、テレビの前でうんともすんとも言わずにトリノオリンピックに没頭して……などと無理して「うんともすんとも」という言葉を使ってみました。

この言葉、うんすんカルタに由来するとか。カルタは16世紀の半ば、ポルトガルからもたらされたもの。うんすんカルタはその流れを汲み、江戸時代に生まれたもの。ポルトガル語でウンはエースの1、スンは最高を意味し、切り札のエースと最強の絵札を出すとき「ウン」とか「スン」と声を掛けたそうで、それが廃れたことでその掛け声が聞かれなくなったのが語源だとか、また、うんすんカルタに熱中しすぎて無口になることからといった説もあるそうです。

廃れたのは、カルタの賭博性が人心を乱すと幕府が禁令を出したからですが、唯一、熊本県人吉市でうんすんカルタは生き残りました。県の重要無形文化財になっていますね。なぜ、人吉だけに? 山間地の隔離された世界ゆえに幕府の目も届かなかったからだろうし、賭博ではなく健全な娯楽として楽しんでいたからだろうということです。

カルタといえば、現在、専門に作っているのは京都の二社だけ(任天堂を加えると三社)。その一つ、創業二百有余年の老舗・大石天狗堂さん(http://www.tengudo.jp)を取材する機会がありました。うんすんカルタの復刻版も作っているお店ですが、天狗堂とはこれまた異な名前と思われるでしょう。興味を持たれた方は“大石天狗堂”“鼻”などとグーグル検索してみてください。庶民とカルタの歴史にクスッとしそうです。

大石天狗堂さんで伺った話で面白かったのが、花カルタ(花札)のこと。昔は、型染めの手法で色の部分が塗られていたため、どうしても微妙な色ずれが発生しました。現在の印刷技術は正確無比に着色できるのに、昔の味わいのほうが好まれるためわざわざ色ずれした感じで印刷しているそうなのです。また、あの斬新なデザインは逸品の抽象画として海外でも高く評価されていますが、実は磨り減っていく墨の版木をそのまま使ううちに単純化されたそうなのです。「まっ、いいか」という職人さんの妥協の積み重ねが、世界の賛美を得ている。これもクスッですね。

不具合が美に転じているわけですが、そこで思い浮かぶのが、日本独自の陶器の修理技法「金継ぎ」です。割れや欠けを漆で接着し、そこに金を装飾して継ぎの美を創出する修理方法のこと。「もったいない精神」から生まれた暮らしの知恵ですが、とことん使いこんで新しい美を創っていくというか、不具合に美を見出すというか、やはり日本人独特の美意識でしょうね。

そういえば、京都の浄土宗総本山・知恩院の本堂の屋根には、わざわざ二枚の瓦が置き去りにされています。「みつれば かくる よのならい」という諺にならい、同寺を建てた名工・左甚五郎が、“完成されたものは滅び去るだけだから、これは未完成ですよ”ということを示すため置いたものだと伝承されています。

完璧よりも不具合や未完を愛でるというのは、豊かな遊び心があってのこと。この遊び心、いいよな〜。

●今回も突然ですが「Web花教室」です。「もったいない病」を持病とする高部。大好きだった唐津焼の急須の取っ手やフタが割れ、金継ぎよりもぐ〜んと庶民の知恵“瞬間接着剤”で修理して使っていました。ところが、継いだ取っ手がまたまた取れて、もう限界のよう。そこで、花入れに転身。茶漉しの部分の穴を、花の茎が通る程度にキリと金槌を使っておっかなびっくりし少し拡げました。これもちょっとした遊び心と、自己満足。こんなに使い込んだものは特別ですが、身の回りの好きな雑貨を花器に使って花を楽しむのもいいですよ。