Vol.40 猫[2008.7.30]
 熊本県天草市に“伝書猫”がいるそうですね。そのニュースを報じた新聞によると、もともとの名前は「たま」。3年ほど前に誕生したものの半年で姿を消し、昨年秋にご帰宅。毛並みがきれいだったので、この家の奥さんが「どなたかこのネコを飼っているんですか」と書いた紙を首輪に付けておいたら、数日後「大人の人ですか。字がきれいですから」との返事を下げてきたそうです。

 で、何度か手紙をやり取りしたところ、新しい飼い主は近所の女子高校生で、たまは「あずきち」の名で暮らしていたことがわかりました。もう20通ほどの手紙が“配達”され、飼い主同士の交流も始まっているよう。ちなみに、両家の距離は200メートルほどらしいのですが、「たま」にして「あずきち」は犬の居る家を避け、500メートルほどの迂回路を往復しているそうです。

 「たま」という名の猫といえば、関西にはとても有名な猫がいます。和歌山電鐵貴志川線の貴志駅で、“駅長さん”としてお勤めの三毛猫です。ローカルニュースでよく見かけていたのですが、今や全国区の人気者のようです。
 ▼「たま駅長」の詳細はウィキペディア(Wikipedia)で。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%BE_(%E7%8C%AB%E3%81%AE%E9%A7%85%E9%95%B7)

 ということで、猫のお話2題でした。

 数字と時計に追い回され、効率優先の社会に生きている私たち現代人は、こんなのどかで微笑ましいニュースに、ほっとします。でも、私たちが経済至上主義で突っ走った、といっても、もともとは豊かさと幸せを求めてのこと。それが皮肉なことに、どうもゆとりをなくし、他者への想像力をなくし、生命を軽んじたり、弱いものを置き去りにしたりなどといった、豊かさや幸せとは反対のことも招いてしまった、ということですね。あ、ちょっと話が大げさになっちゃいましたね。

 ところで、CMの世界では「子どもと動物には勝てない」という定説があります。ビジュアル的にとにかく可愛いからであって理屈などないかもしれませんが、その姿が、計算のない、思惑のない、自然体だからかもしれません。

 そういえば、あの喜劇王であるチャールズ・チャップリンや、日本を代表する哲学者である西田幾多郎が言っていることですが、花はきれいに咲こうと思って咲いているから美しいわけではなく、ただ花としてそこにある、それをだれもが美しいと思うそうです。あ、また話を大げさにしてしまいましたね。

 では、話をまた猫へ。これも最近新聞で知ったことですが、動物界でも「セックスレス症候群」が進行中だとか。えっ? 動物が本能放棄? まぁ、動物園育ちの動物が野生本能をなくすという話は聞くことがありますが、これは高層マンションに住む猫のお話。発情期に入り、お見合いをしたのですが、相手を見るなり発情を止め、「あんた誰やねん、そばに来んといて!!」とばかりに激しく怒り、威嚇したそうなのです。

 そこで、獣医さんの分析ですが、どうもこの猫は親元を離れてからマンション暮らし一筋で、猫というものを見たことがなく、自分を猫とは思ってはいなかったというのです。となると、猫にとって恋の相手は飼い主への所詮叶わぬ“悲恋”しかないわけで、それを防ぐためには「幼いときから、猫は猫、犬は犬に慣れさせることだ」と、その獣医さんはアドバイスしていました。

 ふ〜ん、人間だって「かけがえのない自分」はとても大切だけど、それだけでなく、いろんな人が居ることを知り、いろんな人と社会をつくっていることを幼いころから学ぶことも大事ですものね。