この猛暑、動物だって、植物だって、生きとし生けるもの水が恋しい。樹齢何百年とかいう大木は、大地の奥深くに張った根から水分を一生懸命吸い上げながら、恵みの雨を待っているのでしょうね。このサイトのフロントで紹介されている週刊メールマガジン「気になる!くまもと」に、いま、熊本の代表的な「老樹名木」が登場する連載がありますが、さすが、森の都・熊本。毎週知る、圧倒的な偉容に驚嘆しつつ、その夏越えに思いが至ります。
さて、私が今回紹介する一本の木は、八代市千丁駅の付近にあったという「千丁の柳」。作家の内田百閒(ひゃっけん)の随筆に出てきます。愛猫のノラが居なくなり、落胆する百閒を、関係者たちが気分転換にと九州の旅に連れ出すのですが、彼のお気に入りの宿が八代にあったようで、そこに向かう列車の窓から見える、田んぼの中の大きな柳の木も、彼のお気に入りでした。この旅でも、みんなで柳が見える一瞬に目を凝らします。落胆する人に対するあわあわとした思いやりの旅の記述に、ちょっとした緊張感が漂う一節です。百閒のこの旅は、昭和32年のこと。最近、新聞で知ったのですが、その柳は、その後、いつの間にか姿が消えたそうです。
内田百閒、ご存知ですか? 黒澤明監督の遺作となった「まあだだよ」で、故・松村達雄さんが演じたあの先生です。もともと大学などでドイツ語を教えていたのですが、後に、文筆活動に専念しました。「まあだだよ」は退屈というか、のどかというか、往年の黒澤映画とは一味違う微笑ましい作品でしたが、描かれた門下生との交流は、本当にほのぼのとした古き良き時代を感じさせてくれました。
ところで、この千丁の柳には、根もとにお地蔵さんが祀られていたそうです。木の里、森の国、日本。古代より樹木は、畏(おそ)れ多い依代(よりしろ:神が現れるとき乗り移るもの。ほかに岩や花など)でした。千丁の柳も、きっと、庶民に身近なお地蔵さんと共に、千丁の地に根づき、崇められてきたのでしょうね。そんな大事な木がなくなったのは、とても残念なこと。でも、時代の流れで仕方なかったのかもしれません。しかし、百閒の周辺に満ち満ちていた師弟愛や思いやりは、どうなのか。古き良き時代のものとして片付けるのはさみしいですね。
最後に、大阪の私に「なじみ」の一本の木をご紹介しましょう。まず、いま住む団地のすぐ近くにある「渡辺綱(わたなべのつな)・駒(こま)つなぎの樟(くす)」。そして、20年近く前に住んでいたマンションの目の前にあった「楠木大神(くすのきだいじん)の楠(くす)」です。クスの用字が違いますね。なぜか理由はわかりませんが、通称でそうなっていますのであしからず。
●渡辺綱・駒つなぎの樟
突き出た3本の裸の幹のこと。根元はひとつです。樹齢900年。平安時代、この周辺は摂津源氏の祖・源頼光の支配地で、頼光はここに産土(うぶすな)神社を建立。彼の家来である渡辺綱が、周辺の荘園の管理を任せられていて、神社に参るときはいつもこの樟に馬をつないだことから命名されています。戦災で枯れ、枯死状態のまま60年以上、こうして風雪にさらされているのですよ。ちなみに、源頼光と共に活躍した渡辺綱を筆頭とする4人の家臣は頼光四天王と呼ばれ、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治をはじめ数々の鬼退治伝説で有名。四天王の中には坂田金時(あの力自慢でおなじみの金太郎さん)もいるのですよ。ゆかりの剛勇たちに負けず、渡辺綱・駒つなぎの樟も、まだまだ頑張りそうです。
●楠木大神の楠
大阪には、戦災復興の区画整理や道路拡幅
のために切ることになったものの、結局はそのまま残り、道路の真中で「樹の神」となっているものがいくつかあります。これもそのひとつ。夜、不案内な車がぶつかることもあるなど、通行の障害になるのに、なぜ残されたのか? 切ろうとした人が急死・急病に襲われたとか、巳さん(蛇)が住み着いているとか、不吉なことが起きたり、言い伝えや木への信仰があったりで、つまりは祟りを恐れてのことでした。上述の「依代信仰」が人々の深層意識で働いているのですね。この写真ではその畏れ多い楠の姿は、周囲の樹木(クスやクヌギ)の茂みに埋まってしまい見えませんが、実は、立ち枯れた太い幹のみです。こちらも裸の幹のまま頑張っているのです。 |
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