Vol.44 ある碑[2008.12.24]
 大阪の四天王寺。このコラムでも何回か登場していますが、聖徳太子が建立された日本最初の官寺です。このお寺の機関誌『四天王寺』に、熊本にゆかりある読物を目にしました。南谷恵敬さんが綴る連載「四天王寺奇観」の「千人斬りの碑」です。この碑は、肥後国益城郡中島の住人である田代孫右衛門が、慶安3年(徳川家光没の前年)に四天王寺に建立したもの。その由来を、南谷さんは江戸時代の書物『摂陽奇観』を紐解いて紹介しています。要約してお話しましょう。

 ――地元の某家の娘と婚約した田代孫右衛門。当時の習わしで他国へ修業に出た後、帰郷するとその娘は他家へ嫁いでいた。「あれだけの深い契りを交わしたのに」と、怨恨の情を募らす彼は、一念発起。千の生き物の命を取り、その念力によって娘の命を奪おうと怒りの炎を燃やしたのだ。毎日、鳥、獣、魚、虫と命を奪っては娘を呪う孫右衛門。息子の狂気の沙汰を見て、母は涙ながらに諌めたが、聞き入れることはなかった。
 いよいよ999の命を取り、あと一命で満願というときに捕らえたのが一匹の亀。ところがこの亀、首や手足を甲羅に引っ込めてしまい、なかなか止めを刺せない孫右衛門。やめるよう泣いて訴えていた母は、ついに「代わりにこの命を」と亀の上に身を投げだす。怒り狂う孫右衛門はそれすら目に入らず、母をめがけて刀を振り下ろそうとしたその時、突如転倒し、そのまま失神。やがて正気に戻った彼は、自分の犯した悪業に気づき、懺悔の念と母に刀を向けた非道を恥じて、ついに仏門へ。四国霊場巡礼に旅立ち、懺悔の業を繰り返しながらやがて四天王寺に至り、ここで病死した――

 とまあ、こんなお話です。仏教的訓話の要素はさておいて、孫右衛門の素性や娘の心変わりの詳細はわからないものの、電話もメールもない時代、遠距離恋愛は難しかった、というより、結局は片思いして逆恨みした情けない男のお話といった感じですね。ワイドショー的になりますが、関係のない他を巻き込んで恨みを晴らそうとしたり、ストーカーのように本人を直接的に攻撃したり、といった粘着気質による悪業は、今も昔も変わらないようです。

 でも、母親の思い余った行為は、今とは少し異なることかもしれません。子供部屋など個室が発達した現代、そして行き過ぎた個人主義が広がった現代、家庭内でさえ「隣は何をする人ぞ」といった関係がいつの間にか築かれていき、さまざまな不幸や犯罪の温床になっている時代ですからね。

 ……おっと、いけない、いけない。未曽有の世界大不況だの凶悪犯罪だの、現代人の孤独だの心の闇だの、悪いニュースに引っ張られてきた2008年、そのマイナス感情の空気に飲み込まれてしまっては、人間、前に進めません。パンドラの箱が開いたかのように、社会にさまざまな不幸がまき散らされ、辛い状況に陥った人もいっぱいいる2008年ですが、箱の底に残っている「希望」を見失わないように、元気に2009年を迎えたいものです。

 だから、気分一新。最後に良い話題を。11月のこのコラムで取り上げた熊本県立鹿本農業高校の「コメロンパン」ですが、実は10月に開催された「第59回日本学校農業クラブ連盟全国大会」で「最優秀賞」「農水大臣賞」をダブル受賞していました。通称「農業高校生の甲子園」で、“日本一”の栄誉を手にしていたのですね。すごい。本当におめでとう。