Vol.43 パン[2008.11.25]
 10月の半ば、テレビのニュース番組で、熊本県立鹿本農業高等学校の生徒さんが米粉を使ったメロンパン、その名も「高校生のコメロンパン」を開発・販売し、熊本でヒット商品になっていること、そして東京にも進出することを知りました。
 ▼熊本県立鹿本農業高等学校
 http://www.higo.ed.jp/sh/kamotono/club/shokuhin.html

 関西ローカルのニュース番組だったのに、地元を飛び越えて熊本−東京の話題を伝えていることにちょっと驚き、「で、関西進出はいつなん?」と期待しているのですが、いまだにその報は聞こえてきません。「パンといえば神戸」というイメージや“阪神間モダニズム”の伝統もあってパン食の割合が高いという土地柄ゆえか、関西は敬遠されているのかもしれません。いずれにせよ、私としてはゆかりある熊本生まれのコメロンパン様のお越しを心待ちしている次第です。
 ▼阪神間モダニズム(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E9%96%93%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 ところで、パン。明治の文明開化とともに日本上陸したようなイメージがあるのですが、実際は随分と早く、キリスト教とともに伝来したようです。しかし、日本人の口に合わなかったなど諸事情から、普及はしませんでした。それを身近な食へと一転させたのが「銀座木村屋」創業者、木村安兵衛です。明治8年、「木村屋のあんぱん」を販売。大変な人気を得て、今日のパン食文化隆盛の口火になったそうです。安兵衛さんが賢かったのは、コメが主食の日本ではパンは受け入れてもらえないと考え、酒種を使って餡子を入れ、つまりはおまんじゅうみたいな“おやつ感覚”のパンをつくったことにあったようです。

 一方、「新宿中村屋」は、明治37年に「クリームパン」を売り出し、明治33年発売のジャムパン(こっちは前出の木村屋が生みの親)とも合わせ、これで“日本三大菓子パン”が揃い踏みしたそうです。新宿中村屋というと、月餅や中華まんやインドカリー(中村屋のカレー)など他にもいろいろ有名な商品がありますが、私が思い出すのは往年のドラマ「パンとあこがれ」です。

 かつてポーラテレビ小説という、NHKの連続テレビ小説に対抗するTBS系列の帯ドラマがありました。放映時間もNHKと同じ朝と昼の時間帯、内容的にも女性の人生ドラマが主体で新人女優の登竜門となり、多くの女優が輩出しています。で、その一つが「パンとあこがれ」であり、ヒロインは中村屋創業者である相馬愛蔵の妻・相馬黒光(そうま こっこう)がモデルでした。

 なぜこのドラマが私の印象に残っているのかというと、愛蔵の友人でもある荻原碌山(おぎわら ろくざん)という彫刻史に残る芸術家が黒光に思いを寄せ、黒光も心を揺さぶられた“忍ぶ恋”に心ときめき、そしてまた、“パンづくり”という現実の生活を送る一方で、著名芸術家などが集まる「中村屋サロン」を開き、自らも著作活動をした才女の“あこがれ追求”の生き方が、当時の私にはとても鮮烈に写ったからです。

 今ネットで調べてみると、「パンとあこがれ」はポーラテレビ小説2作目、1969年上半期の放映で、脚本は山田太一さん。なるほど、ドラマづくりの名手。とりわけ二十歳前の文系乙女であった私には、忍ぶ恋(「なんや不倫か」なんて軽く言わんといて!! )も、パンとあこがれを抱えての生き方も、たまらなく刺激的で、魅力的だったのでしょうね。私はストーリー自体はほとんど覚えていないのですが、ネットで検索すると同ドラマについて詳細な記述をしている個人サイトを発見(下記アドレス。ヒロインは「宇都宮雅代」さんが演じとなっていますが、正しくは「宇津宮雅代」ですね)。こんなすごい思い出語りができる人がいることに、また、その内容を机上で手軽に共有できるネット空間の“どえらさ”に、改めてびっくりしています。
 http://members.jcom.home.ne.jp/0512573101/page063.html

 人はパンのみで生きるにあらず、さりとてあこがれのみで生きることあたわず。さても大不況到来とあっては、パンを得るのもたやすくないご時世です。世界経済の沈滞、そして、高齢化や地球環境問題の急進などで、個人も社会も、ますます知恵と覚悟を試される時代となった2008年――残すところわずか1カ月となりました。