Vol.57 葉桜[2013.4.16]
 久しぶりにこのサイトの掲示板に書き込みをし、an弾手さんの返信に、徒然なるままに語呂遊びまでして再返信した先週末。その際に知ったのが、♯<シャープ>の意味を改めて確認しようと思いインターネットであれこれ調べていて発見した雑学ネタで、「♯<シャープ>と#<ナンバー>は違う」ということ(詳細は、掲示板625〜628をご覧ください)。これまで知らなかった興味深い知識でしたし、知らなくても人生で困ることもない些細な知識でした。

 だって、電話機のボタンのあの記号は、多分、大方の人が♯<シャープ>と思っているでしょう(実は#<ナンバー>です)。だから、音声案内の電話を聞いているときに「電話番号の後に#<ナンバー>を押してください」などとアナウンスされたら、困ってしまいますよね。この世の中は、物事の「真実」「事実」ではなく「社会通念」のようなもので成り立っている、などと言えばちょっと大げさですが、そんな一例かもしれません。

 確かに言葉は生き物なので、多くの人の誤解が生じて違う意味が通用するようになったり、時代環境の変化と共に新たな意味になったり、消え去ったりもします。また、NHK大河ドラマが歴史の事実を歪曲するといって批判されることがありますが、歴史などを下地にしたフィクションによって、歴史の見方や人物の評価が変わり、事実とは違う歴史認識を持ってしまうというのもありますね(もちろん、学術的研究によって歴史は修正されることがあるのでしょうが)。

 ところで、実は、an弾手さんの最初の返信で、もうひとつ、私は「えっ?!」と疑問に思い、ネットで調べた事柄がありました。それは、「葉桜」。

 an弾手さん曰く「こちら熊本も葉桜、というより、もうすっかり『葉』だけ?」と。

 確かに、私も薄ピンクの花色一色の桜木から柔らかい緑の葉が顔を出して目につくころから「あ、もう葉桜だ」と言って眺めていますが、どちらかというと、葉っぱだけになった桜を葉桜とする認識が強かったのですね。で、ほんとのとこはどうなん? と思って調べたのであります。ひょっとしたら、an弾手さんも、同様の疑問が「『葉』だけ?」の「?」に表れていたのかもしれません。

 あ、その前に、一昨年5月のものですが、わがサイトの「今月の花」をご覧ください、1作目タイトルは「葉桜」。ね、葉っぱだけでしょ(笑)。
http://homepage2.nifty.com/AkiTakabe/ikebana/tukinohana/11.5/2011.5.html

 で、葉桜ですが、調べてみると、「花が散って若葉が散り始めた頃の桜」「花が散り、若葉になったころの桜」「花が散って若葉だけになった桜のこと」とか、語義がいろいろと出てきます。結局、花と葉っぱの混在時も、葉っぱだけの時も、「葉桜」なんや、ということでよろしいようですね。かといって、新緑の若葉が瑞々しく輝いているまでの桜を指すのであって、それ以降の、単に葉が茂ったものは葉桜とは呼ばない、というわけです。

 そこんとこをWikipediaは「桜の花が散り若葉が出始めた頃から新緑で覆われた時期までの桜の木、またはその様を言う」と、包括的な定義をし、詳細に解説しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%89%E6%A1%9C

 「葉桜」なんて言葉もそうでしょうが、四季の移ろいを感じとり、愛でる日本人の感性や美意識は、言葉に表れています。例えば、月は、満ち欠けによっていろいろな名前で呼ばれますし、
http://allabout.co.jp/gm/gc/220724/2/
俳句の季語などは、実に微妙な自然の情景や息遣いのようなものを、なんとまあ繊細な言葉で言い表していることか。それをよくは解せぬ私は、ため息の出る思いです。

 でも、自然に対する敏感さは、必ずしも日本人だけではなくて、例えば年中雪に囲まれて暮らすイヌイットには雪を表現する言葉が何百以上も存在する、と言われています(正確な数は知りませんが、要するにほんと多いらしいです)。だからこそ、四季の変化がある日本は、それだけ自然も多様で、それを表現する言葉も数多いということは当然の帰結なのでしょうね。

 などなど、瓢箪から駒が出たかのごとく、電脳空間から久しぶりに高部のコラムができました。

 ついでに、「瓢箪から駒」の駒って、馬のことだと知ってました? 私は昔調べて知った記憶がぼんやりとよみがえったのですが、もうすっかり忘れていました。



  花作品などを集めた「高部の花辺」もどうぞ。