Vol.46 すずめ[2009.2.27]
 現代人を魅了してやまない日本のふるさとの原風景、黒川温泉……と書いたものの、私は訪れたことはありません。ただ、数年前、あるビジネス系情報誌で電話取材と収集資料をもとに同地の再生物語をまとめたことがあり、黒川温泉というと少し思い入れが湧いてきます。私の在熊時代は、今のように全国屈指の名湯に数えられることもなく、長く厳しい“冬の時代”だった黒川。当時、私はその存在すら知りませんでしたが、その後、地元のみなさんの力で見事な変貌を遂げているんですよね。

 さて、この黒川の温泉街の上手に、すずめ地獄なるものがあります。硫化ガスが噴き出る冷温泉で、このガスに当るとすずめなどひとたまりもないことからそう名付けられているとか。すずめは古来より日本では最も身近な野鳥。このネーミングはそのことを物語る一例とも言えそうです。ふるさと情緒を盛り上げてくれる重要なキャスト、すずめ。私の思い出にある大分の故郷の田園風景も、そこにすずめが飛び交うことでウルウル度が増す気がします。

 そんなすずめが、このところ激減していると新聞が報じていました。大学研究者の調査により、国内のすずめの生息数が1,800万羽にとどまることが分かったそうで、最近20年足らずで最大80%、半世紀前との比較では90%も減少したとみられるそうなのです。原因は、餌場である田畑や、巣を作る木造家屋が減っていることにあるとか。そういえば、毎年、我が家の玄関ドアにつりさげる稲穂を使ったハンドメイドの正月飾りが、よくすずめに稲穂を食い荒らされていましたが、この数年、そういうこともなくなりました。

 ところで、すずめの減少により、京都市伏見区の伏見稲荷大社の参道では困ったことが起きています。名物「すずめの焼き鳥」を売る店が2店までに減少(かつては6、7店)するなど、ピンチだというのです。なぜそんな名物が? と思いますが、伏見稲荷大社は商売繁盛と五穀豊穣の神様であることから、穀物を食い荒らすすずめ退治が目的で始まったそう。もっともこの地に限らず、日本では少し前までは、すずめの焼き鳥(羽と皮を剥ぎ、頭や足などあの姿を残したまま焼く。バリバリした食感が身上らしい)は、そんなに珍しいものでもなかったようです。

 それから、ご多分に洩れず、近年は伏見稲荷大社参道のこれらの店でも中国産すずめが多用されていました。が、中国政府が1999年12月に食用の加工品も含めた野鳥の輸出を禁止。在庫の中国産冷凍すずめの在庫が尽きれば、完全国産へ切り替えなくてはならないという現状にあり、その国産がこんな状況ですから困った、というわけです。すずめは狩猟対象鳥類であり、狩猟免許を持った漁師さんが捕獲します。その様子をテレビで見たことがあるのですが、一番効率的なカスミ網は禁止されているので、仕掛けは使うにしてそれほど効率も上がらない方法の、ある意味、実にのどかな狩猟でした。

 さて、食糧危機が叫ばれ、世界大不況に突入し、農業日本の再生を望む声が高まっていますが、すずめの減少は困りもの。というのも、伏見稲荷大社の名物は、すずめが米へ被害を与えるからといって始まりましたが、これを根絶してしまうともっとひどい被害が待っているのです。それは歴史が証明しています。毛沢東時代の中国では、同じ理由で「すずめ撲滅運動」が大躍進政策で行われましたが、その結果、確かにすずめによる被害は減ったものの、代わりにすずめが本来餌としていた害虫が大発生し、収穫は大幅に減少。悪天候や大躍進政策における様々な無理により、国中で大飢饉となったのです。

 金子みすゞの詩「わたしと小鳥とすずと」の小鳥は、多分、一番身近なすずめだろうと思うのですが、この詩の名フレーズ「みんなちがって、みんないい」が象徴するように、人間がいて、すずめがいて、それぞれの役割があって生物の多様性、生態系が保たれ、地球と生命は維持されます。地球環境問題は、すずめにも及んでいるのですね。

 でも、少なくとも私は、今の住まいである集合住宅(マンション)という、すずめがお宿をつくりにくい暮らしをやめるわけにはいきません。困ったものです。文明が進歩しても元に戻せて、それでも困らないものは戻せばいいし、元に戻せないものは問題点をカバーしうる別のもので解決策を図らなくてはならない。しかも、一人ひとりが、そして、国を挙げ世界を挙げ、人類全体が取り組まなくてはならない。私たちは今、そんな時代に生きているのです。