「金色のちいさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に」(与謝野晶子)。秋といえば、山吹色に輝く銀杏も見ものです。夏目漱石が「森の都」と讃えた熊本は、銀杏並木も多く、市木は銀杏(県木は楠)。名城・熊本城の別名は銀杏城(加藤清正が植えたことから)。また、国の天然記念物に指定されている樹齢約千年・高さ約25m・幹回り約10mという大銀杏が、阿蘇郡小国町下城に悠然と構えているそうですね。
大阪も、府木は銀杏(市木は梅)。そして、大阪のメインストリート、御堂筋といえば銀杏並木。「雨の御堂筋」「大阪ラプソディ」など懐メロでもお馴染みの、あの御堂筋です。車道・歩道・植樹帯をあわせて幅44m。全長4Kmで、私の脚で歩けば1時間強。並木には一部、他の木も使われていますが、主体の銀杏は800本以上あります。
大阪の2大繁華街、キタとミナミをつなぎ、沿道にビルが整然と林立する御堂筋。東西の通りに少し入ると数々の史跡やレトロな建物も佇み、また半ば一帯には浪花商人の本拠地・船場の問屋街が伸び広がるなど、歴史・文化や大阪らしさの香りがぷんぷん。さらに一部街区は、10年ほど前、道行く人にやすらぎを、と「彫刻ストリート」となり、著名な内外彫刻家のオリジナル作品(人物像)合計25体が歩道にぼつぼつと並んでいますが、名高き“イラチ人種”大阪人は見向いてもいないような…存在意義への疑問もふつふつ(「イラチ」とは「せっかち」の大阪弁)。
そんな長く広い道を彩る4列の銀杏並木。11月5日の土曜日、色づいた銀杏も多かろうと自転車を飛ばして行って見たら、まだまだ緑葉でした。帰って調べてみると、気象庁発表“紅葉日”は50年前より2週間ほど遅くなっているそうで(大阪の平年は12月3日)、去年の全国平均は平年より10日も遅かったよう。これも温暖化の影響なのでしょうか、そのうち紅葉は冬の景色になるのかも。
さて、大阪の街路で思い出すのが「軒切り」です。凄腕剣士の剣法名のようですが、実は都市整備の大胆手法のこと。商売の町として発展した大阪はもともと道幅が狭く、近代都市化への障害になったため、明治から大正にかけて商家の軒先を強制的に切り取って道幅を広げたそうで、それが即ち軒切りです。東京や京都でも行ったものの途中で放棄、しかし、大阪は貫徹。まるで成長著しい今日の中国の共産主義的都市づくりのようですね。お上に従順な大阪人なんてちょっと不思議に思えますが、本コラムVol.2<水>でも触れたように、お上に頼らず自主自立の心意気熱き大阪人のこと、従順というより「勝手にやったらええわ」という、お上への無関心みたいなものかもしれません。そういえば東京の知人に、「大阪人は阪神タイガースの応援には無謀なまでに熱くなるのに、それにドケチのはずなのに、税金の無駄づかい日本一の大阪市政に対してなぜ暴動を起こさないのか」と言われました。もう大阪人30年の私、ちょっと耳が痛いです。
ともあれ大胆見事な軒切りによって、今日の街の素地が形成された大阪。その後さらに整備も進み、御堂筋ができたのは昭和初期のこと。戦災によって大阪の街は灰になりますが、幸い御堂筋も銀杏並木も、その下を走る地下鉄も難は免れました。このメインストリートの無事が、戦後の復興をしっかり支えたようです。そして、万博を契機に車道は南行き一方通行になり、今日に至っています。大阪名物“路上駐車”も、減少傾向にあるものの汚名返上はまだのようです。 |
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写真は御堂筋のほぼ中間あたり。銀杏並木が4列あるのがわかりますか?
向かって右から2列目の1本目が、この日(11月5日)一番の“色づき大賞”でした。 |
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