Vol.4 <桜>そして<造幣局>(1)[2005.4.6]

お花見の四月。熊本では、ダム湖面を鮮やかに染めるという市房ダム湖畔(球磨郡水上村)の群桜や、菜の花畑にぽつんと1本立つという樹齢400年の一心行の大桜(阿蘇郡白水村)などに興味をそそられますが、私の在熊中の記憶としておぼろげながら残っているのは、やはり立田山と熊本城の桜でしょうか。大阪城も花見客で賑わっています。

さて、染井吉野など一重の桜に遅れて八重の桜が艶やかに花開く頃、大阪では「造幣局の通り抜け」に人々が沸きます。貨幣をはじめメダル・勲章などを製造している造幣局は、文明開化とともに明治政府によって設立され、近代貨幣史を拓いただけでなく、化学・機械などの近代工業をはじめ、洋装や簿記などの近代文化を日本に移植する先駆者になったところです。

そんな硬派の造幣局が、構内の桜並木を花見客に開放するという粋な計らいをしてくれるのが「通り抜け」です。明治時代から始められたもので、今や大阪の年中行事の一つ。両脇の桜を眺めながら南門から北門へと文字通り通り抜けるわけですが、八重桜を中心とした自然の美の競演は、人々を陶酔の境地へと誘います。今年の通り抜けは4月13日(水)から19日(火)までの7日間ですから、もうすぐですね。

ところで、この桜並木を少し歩いたところにレンガ造りの建物があります。貨幣の歴史が楽しく学べるとともに、造幣局創業当時の状況がしのべる様々な展示をした貨幣博物館です。私は先日、この博物館をある仕事で取材したのですが、気さくな塩川幸男館長とお話をしていたら、かつて熊本にも造幣局の出張所があったことを知りました。えっ、いつ頃? なぜ熊本に? など聞いているうちに、今回のこのコラムは「熊本と関西の<桜>そして<造幣局>つながり」にしようと思い立ったのです。

造幣局熊本出張所が設立されたのは、昭和13年のこと。当時、国を挙げての金集中運動が行われ、鉱物の試験や金銀地金の精製のため、東京のほか、近くに産金地帯を持つ熊本・秋田・札幌に出張所が設けられたそうです。戦前戦中、国民がこぞって軍事用に貴金属などを国に供出したという歴史の知識がぐっとリアリティをもってきて、ちょっと興奮を覚える私。それから、お金や貴金属に縁のない私は知らなかったのですが、日本の総産金量の半分近くは九州が占めており、九州は黄金の島とも言われるんですってね(もっとも石炭や地熱など地下資源全般の宝庫のよう)。

熊本出張所はまず迎町に設置。5年後には廃止され久留米に移転されましたが、戦後すぐ花畑町で返り咲き、後、新南千反畑町に移ったとのこと。そして、昭和58年3月に廃止されるまで、金の試験分析などを行っていたそうです。ちなみに、現在、造幣博物館は年に2回、全国各地に出向き「造幣局in○○」と銘打った展覧会を開催していますが、記念すべき第1回(平成11年)は、ゆかり深き熊本でした。大変な賑わいだったそうで、熊本の貨幣・メダルマニアにはきっと忘れられない楽しい催しだったことでしょう。

出張所開設期間に私も在熊していたことになる、と感慨深くしていたら、塩川館長が、もともと熊本ご出身でこの出張所にも何年か在籍したことがあるという、金鉱分析をする造幣局職員の方を紹介してくださいました。寮暮らしをされていたそうで、買い物はもっぱら寮に近い子飼商店街だったそう。懐かしいな、あの商店街。大分県の片田舎から出てきた私は、あんな何でも揃ってる商店街なんて初めてだったので、キョロキョロ左右を見回して歩くだけでも楽しかった。熊本に何度も出張したという塩川館長も一緒になって、やれ熊本の焼酎だの馬刺だのと話が広がったのであります(大阪では馬刺しは高くて、私はもう長いことご無沙汰です)。

また、金の分析に限らず、官として(平成15年から造幣局は独立行政法人ですが)文明開化とともに世界の最新技術を消化吸収しながら日本に根づかせ、今や世界に誇る様々な技術を持つ多くの民間企業の技術基盤を営々とサポートしてきた造幣局に、心で敬礼する高部でもありました。

ところで、現在、造幣局は東京と広島に支局がありますが、広島支局には大阪本局から移植された桜を中心に観桜の場が次第に形成され、平成3年から「花のまわりみち」として一般公開されているとのこと。大阪から広島に転勤した職員の方が大阪を懐かしんで移植したそうで、熊本は現地採用がほとんどだったため、そういうこともなかったようです。歴史に“もし”は禁句ですが、もし大阪から熊本に転勤した造幣局の風流人がいたら、熊本出張所がなくなっても八重桜の名所が残った…なんてことがあったかも。

今月は、このコラムはもう1回掲載の機会をいただき、通り抜け期間中の様子もお伝えすることにしました。もちろん、造幣局のホームページでも情報満載です。
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写真左は戦前の造幣局熊本出張所。「金献報国…」などと書かれた垂れ幕が、金集中運動を物語っています。写真右は昭和58年に廃止されるまで新南千反畑町に設置されていた出張所。10数人がお勤めしていたとか。この建物を懐かしく思う方もいらっしゃるのでは。現在この敷地跡には、民間の住宅が建っているようです。(写真は造幣局からお借りしました)