Vol.14 <菊人形>[2005.12.15]

すっかり冬になりましたが、このコラムは秋を代表する花「菊」にちなんで一筆。熊本では11月、熊本城の菊花展、菊池の「菊人形・菊まつり」など恒例の催しで賑わったようですが、大阪では、12月4日、96年も続いた「ひらかた大菊人形」(枚方市の遊園地「ひらかたパーク」にて開催)が最後の輝きを放って、その長い歴史に幕を降ろしました。NHK大河ドラマなどを題材にとった大作が会場を埋めることで毎年話題でしたが、近年のレジャーの多様化などによる観客減少、そして、人形をつくる職人“菊師(きくし)”の高齢化と後継者不足のため、継続が難しくなったとのこと。時代の波に飲み込まれて大阪の秋の風物詩がひとつ消えた、ということなのでしょうね。
●「ひらかた大菊人形」(朝日新聞社・京阪電鉄・枚方文化観光協会主催)については
http://www.keihan.co.jp/ensen/tokusyu/0510/index.html

菊人形は、江戸時代後期に始まった日本独特の伝統文化。菊は花持ちがよく(切り花でも丈夫で長持ちの代表)、扱いやすく(人形の骨格に組み込みやすい小菊を使用)、安価にして豪華に見え(カーネーションやバラでもつくれるが採算が合わない)、さらに、歴史的に日本人には親しみ深い(日本の国花は菊と桜)など、いろんな条件が揃って、ツツジ人形でも朝顔人形でもなく、菊人形なのだそうです。とはいえ、私もかつて「ひらかた大菊人形」に足を運んだことがあるのですが、伝統芸のすごさと演出の大仕掛けに感動しつつも、古典的な顔立ちの人形と花のベタな華やかさを見ていると、妙に切なくなったのを覚えています。

しかし、碩学の論を借りながら菊人形の醍醐味をまとめると「菊師をはじめ人形師など様々なジャンルの職人たちが精緻な技術と手間をかけて仕上げる総合芸術」であり、「超リアリズムの西洋の蝋人形とは違って、花で人形を飾るシンボリズムの芸術であり、そこに創出された一瞬の情景は、人生の決定的瞬間は常に美しいと考える日本人の美学が投影されている」と、奥は極めて深そうです。そんな菊人形展、現在、開催されているのは全国約20カ所とか。時の流れとはいえ、それらもいずれ消えてしまう運命かもしれないと思うと、やはり淋しいですね。

ところで、華やかな菊人形、ゴージャスな園芸の菊はともかく、近年は、花屋さんのキクも賑やかになりました。品種改良が進み、国際結婚も進み、昔ながらの和菊に加えて、枝分かれした茎に花がいっぱいのスプレーマムの類、その名の通りまん丸い花をつけるピンポンマムの類など、色も花形もバラエティ豊かです。私が最近、生け花やフラワーアレンジで使ったキクも、“ディスカバリー”だの“アナスタシア”だのカタカナ固有名を持つコジャレたものが多かったですね。「黄菊白菊その外の名はなくもがな」と詠んだ芭蕉十哲の嵐雪も、「白菊と黄菊と咲いて日本かな」と詠んだ明治の文豪漱石も、びっくりすることでしょう。

私が大好きな菊といえば、どんな色でもよいのですが、庭先や路地に咲く野趣豊かな小菊。とりわけ、奔放な曲線を描く茎、秀逸なる形の小柄な葉っぱと蕾や開花した花が適度に混じる花姿を、竹籠などに自在に生けて眺めれば、もぅゾクゾクものです。しかし都会のマンション暮らしで、そんな菊を楽しむことがあまりなくなりました。などと、今回のコラムは、気づいたら終わっていた秋を惜しみ、消えゆく日本文化を偲び、戻らぬ自分の田舎暮らしを懐かしみながらの一筆でした。

●惜しくも最後の「ひらかた大菊人形」を見に行くことができませんでした。そこで、菊にちなみ、突然ですが「Web花教室」です。写真は、生け花で使った白菊と黄菊がしおれかけたので、リメイクしたもの。短く切ればまだまだ長持ちします。ダメな花びらは抜かずに切り取って棄てましょう。葉っぱもきれいなところだけ、なるべく茎をつけて(葉っぱだけでもOK)使いましょう。そうしてリフレッシュした菊だけでもよいのですが、枝物か葉物があれば組み合わせてみましょう。この時は、ガイミアリリーという長い葉物があったので、曲げて添えてみました。