Vol.54 遥かなるスティーブ・ジョブズ(前編)[2011.10.21]
 10月5日、米アップル創業者スティーブ・ジョブズが亡くなりました。1955年生まれ、享年56。その波乱に富んだ半世紀余りの生涯は、天才の軌跡と賞賛されています。

 私はマックやアップルの熱烈なファンでもないし本人に特に興味があったわけでもないのに、“通の人たち”に負けず劣らず「ジョブズ・ロス」の喪失感がこみあげてきました。あのマイケル・ジャクソンの時(本コラムVol.49 ある碑(余話))と同じく、なにやら“もののあわれ”ひとしおで仕事の合間は「ジョブズ・タイム」となってしまったのです。

 既にさまざまなメディアが、多くの人々が、スティーブ・ジョブズを評し、論じ、讃えています。もちろん、賛美に混じって「やりすぎた傲慢な経営者」「既に存在した技術を製品にしただけ」などといった批判も聞こえてきます。10月24日には彼が全面協力した伝記『スティーブ・ジョブズ』が日米などで同時発売され、彼が傾倒していた禅との関わりを描いたコミック『The Zen of Steve Jobs』もこの秋に出版予定だそうです。

 死後も世界を沸かし続けそうなジョブズ。私も、ジョブズついて書いてみたいし、ジョブズからいろいろな思いを巡らせてみたいと思います。

 
CONTENTS
 
1.
ジョブズの三変化
 
@
【70〜80年代】
自信と高慢に満ちたイケメン野郎に、脱帽せざるを得ない。
 
A
【90年代】
挫折と幸福を知った気さくなおじさんに、ブラボー!!
 
B
【2000年代】
修行僧にして導師よ、ありがとう。そして、お疲れ様。



1.ジョブズの三変化

 ジョブズの若い頃からの写真を見ると、年代によって特色ある三つに大別され、同じ人とは思えないほど異なるビジュアル・インパクトにびっくりします。年齢と共に移ろいゆく容貌を自分の好きなファッションスタイルで装い、自己表現していったのでしょうが、人工的に改造してもっと大きく変わったはずのマイケルよりも変化が大きいように見えるのはなんとも不思議です。

 この三変化(さんへんげ)は、あくまでも見た目のジョブズの変化ですが、彼の人生の節目ともほぼ重なっています。

@【70〜80年代】
 自信と高慢に満ちたイケメン野郎に、脱帽せざるを得ない。


 ジョブズは、もう一人のスティーブとして有名なスティーブ・ウォズニアック等と1976年にアップルを創業しますが、1985年に社内対立の末にアップルから追放されます。三変化の一つ目は、その前後を含む70年代から80年代にかけてです。

 この時期、彼はかなりのイケメン。ハリウッドスターのジェフ・ブリッジスや故クリストファー・リーブの若い頃のような、あるいは、サッカーのメッシ選手から甘さをごっそり抜き取ったような、とにかく洋画でよく見かけるシャープな二枚目の顔です。

 しかし、威圧的で怖いくらいですし、自信と高慢しか持ち合わせていないような鼻もちならない若造に見えます。ヤングエグゼクティブ然としたスーツ姿などは嫌味なスノビズムが洋服を着ているようで、ほんといけ好かないハンサムです。今ではお馴染みの眼鏡もかけておらず、あの「レーザービーム」と呼ばれた鋭い眼光がむき出しに刺してきます。

 創業時のアップルI開発から8年目の1984年には、「誰にでも使えるパソコン」というジョブズたちの設計思想を革命的に進化させた初代マック(Macintosh)が誕生。そのCMを前年に紹介した時(下記リンクの上)といい、商品自体を紹介した時(下記リンクの下)といい、相変わらず自信たっぷりに、ジョブズの真骨頂である見事なプレゼンテーションを披露しています。その“したり顔”といったらありません。

▼1983年、マック発売の前年にCMを紹介
http://www.youtube.com/watch?v=lSiQA6KKyJo&feature=player_embedded
▼1984年、マックを株主総会で初披露
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=2B-XwPjn9YY

 しかし、とにもかくにも圧倒されます。ジョブズの主張に、手法に、世界に。

 このCMは、大変な話題を呼びました。マック誕生が1984年ということから、ジョージ・オーウェルが全体主義的管理社会の恐怖を描いた小説『1984年』に想を得たCMで、あのリドリー・スコットが監督。小説の世界のイメージそのままにシーンは大きなスクリーンに大写しされた独裁者を崇める集会です。そこに、一人の女性がハンマーを持って乱入し、スクリーンを破壊します。

 そしてテロップが流れ、「(マックの登場により)1984年が小説『1984年』のようにはならないということが、きっとお分かりになるでしょう」というメッセージが高らかに告げられるのです。しかも、小説の『1984年』にはBig Brothersという独裁者が登場しますが、このCMでは、社名ロゴの色からBig Blueの愛称を持つコンピュータ界の巨人IBMが独裁者としてイメージされるよう、青いスクリーンに登場させているという手の込みようです。

 つまり、マックの発売は、当時のコンピュータ界を支配していたIBMへの挑戦状だったのです。そしてまた、マックのように誰もが手軽に自在に使いこなせるコンピュータによって素晴らしい未来が開かれることを予感させたのです。闘志も野望も破格、ビジョンも夢も明確。さらに、こうしたセンスとスタイルの広告やプレゼンでアピールするというメソッドにも脱帽です。「世界を変えた」と言われる面目躍如の初期ジョブズですね。

A【90年代】
 挫折と幸福を知った気さくなおじさんに、ブラボー!!


 喝采を浴びたマック発表の翌1985年、アップル退任に追い込まれるジョブズ。1997年に復帰するまでには10年以上が経過することになります。三変化の二つ目はアップル追放時代を中心とする90年代です。

 あのイケメンの容姿がどのように徐々に経年変化したのかわかりませんが、いつの間にか前髪は後退し頬は茄のように膨れ上がり、身体にも相当な肉が付いて、気さくな雰囲気のおじさんに変わっています。また、このころから眼鏡スタイルになったようです。

 ジョブズがアップルを去らざるを得なくなったのは、マックの在庫を抱えてしまった予測ミスが原因です。商品づくりや経営に対する自分のこだわりと完璧主義を貫くため、創業当時の仲間をほとんど追い出した挙句に今度は自らが追われた、そんな展開だったのでしょう。自業自得と言える面もあるでしょうし、ジョブズ本人も相当なショックを受けたようです。が、それでもへこたれないのがジョブズのジョブズたるゆえんです。

 アップル解雇の1985年には、NeXT(ネクスト)という会社を立ち上げ、ウェブサーバー時代を予見したワークステーションなどの開発へと向かいます。また、翌86年にはルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を買収してPixar(ピクサー)という会社をつくり、後、世界初の全編CGアニメ「トイ・ストーリー」をはじめとするヒット作を飛ばします。

 後年、アップルに戻ってルネッサンスを導いた彼は語っています。「アップルを追われなかったら、今の私はなかった」と。つまり、そのときアップルを離れたことで、「成功者の重圧が、挑戦者の身軽さに代わった」「以前ほど自信を持てなくなった代わりに、自由で創造的な時代に踏み出した」というわけです。また、実際にNeXTでの開発技術はアップル再生の中核となったそうです。

 ジョブズの根性、前向き志向、プラス思考には学ぶべきことが多いですし、運命というか因縁因果というか人生の不可測不思議も思わされますね。

 このアップル追放時代に、ジョブズは個人的にも満たされることになります。1991年にローリーンと結婚。一男二女に恵まれ、とても幸せな家族を築くことになるのです。実はそのずっと前、1978年、ジョブズには高校時代のガールフレンドとの間にリサ(現在はファッションライターとか)という第一子が生まれています。母子は生活保護で暮らすほど困窮していましたが、ジョブズは娘の認知を拒み通し、アップルの成功で大富豪になっているにもかかわらず養育費を払おうとせず、裁判の末、支払うようになったそうです。

 娘に対して仕事同様の冷酷さ、徹底ぶりを示していたジョブズには驚くばかりですが、ローリーンの計らいでリサを認知し、やはりローリーンの勧めで90年代の一時期、リサはジョブズの家族と共に暮らしました。あのイケメンですもの、リサの母親と別れたあとも多くの浮名を流すプレーボーイでしたが、ローリーンのような人間的な情をきちんと備えたパートナーを得たことで心の和らぎと落ち着きを得たのでしょうね。

 というのも、ジョブズには親子や家族については屈折した思いがありました。大学院生の未婚カップルの子である彼は、生まれるや養子に出され、養父母のもとで育てられたのです。このあたりの彼の詳しい心情については分かりませんが(10月24日発売の伝記にはきっと吐露されていることでしょう)、育ててくれた夫婦を「養父母」と呼ぶ人に「父母」と言うよう抗議したそうですし、初期アップル時代には血のつながった家族を探す行動にも出ています。そして、実の両親や実の妹(作家のモナ・シンプソン)などの存在を知り、母と妹とはずっとコンタクトをとったものの、母と結局は離婚し別の家庭を築いた実父とは、会うことも電話で話すこともなかったそうです。

 これらのエピソードから、ジョブズが抱いていた養父母に対する愛情や恩義、男としての男親に対する葛藤、あるいは、養子としてのアイデンティティ形成の苦悩などが想像されるわけですが、同時に、アメリカ社会の養子縁組の発達に感心したりもします。養父母は学歴もなく裕福でもない労働者階級。実母は子どもを大学に行かせることを条件に養子縁組したそうで、養父母はその約束をしっかり守りジョブズに大学へ進学させています(しかし、彼はこの忠実な養父母に経済的犠牲を払ってもらってまでも大学に通う意義を見いだせずに中退し、詳しくは後述しますが、いろいろと放浪したあとアップル設立の道を開いていくわけです)。

 ジョブズがローリーンと出会ったころは、ジョブズの新しい会社であるネクストもピクサーも経営が芳しくはない時期で、世間もIT界の騎手ジョブズがもう過去の人になった、といった評し方をしていたようです。そんな落ちぶれたジョブズを受け入れたローリーンは、裕福な家庭で育った才色兼備。結婚後は社会的活動を精力的に続けていて、見るからにとても素敵な女性です。

 家族で食事に来るとジョブズは別人のように夫人に甘え、夫人はジョブズをまるで子供のように扱っていた――そんな証言も行きつけの寿司屋で聞かれたそうです。また、後述のジョブズ最後のステージとなった今年6月の講演の際、進んだ病にやせ細った体で声も途切れがちに話しを終え壇上を降りた彼が、口元をほころばせた夫人の額に自分の額を寄せて一息ついている写真が残されています。想像ですが、「なんとか終えたよ、ローリーン」「ええ、頑張ったわね、スティーブ。良かったわよ」なんて会話が聞こえてきそうです。

 畏怖されたカリスマ経営者の意外な一面ですが、ジョブズは一人の人間として自分が根を張るべき家族を見出したということでしょう。信じられる自分と、支えてくれる家族。鬼に金棒ではありませんか。愛する家族の存在は、その後の彼に影響を与えていったのは確かなようです。

 この時期も「レーザービーム」の眼光に陰りはありませんが、太めの容姿とあいまってどこか愛きょうのあるおっちゃんになったジョブズ。その秘密はこの満たされた私生活だったのですね。

B【2000年代】
 修行僧にして導師よ、ありがとう。そして、お疲れ様。


 三変化の三つ目は、いよいよアップルに舞い戻った1997年から最後の10年強、大まかに言えば2000年代です。

 ジョブズが去った後のアップルは、ウインドウズ(Windows)の台頭により次第に経営危機に陥っていきます。そう、IT革命と言えば、マイクロソフト、ビル・ゲイツ、ウインドウズ…そう多くの人が思うような時代に突入していたわけですね。そんな中、1996年にアップルがジョブズのネクストを買収したことで(技術開発に行き詰ったアップルに、ジョブズが自分も含めたネクスト買収を提案したとか)、彼は再びアップルの経営に関わることになるのです。

 1997年、暫定CEOとして復帰。大胆な人員整理や部署の統合、商品の絞り込み、さらには、なんとマイクロソフトとの資本提携・技術提携など、矢継ぎ早に思いきった手を打ち、起死回生の改革を断行します。そして、誰もが記憶に新しいように、98年iMac、99年iBookを発売、2000年に正式CEOに就任するや、01年iPodを発売、03年iTunes Music Storeを開始、さらに、07年iPone、10年iPad発売、と歴史を塗り替えるような製品・サービスを次々と世に送り出し、快進撃を続けたのです。11年、アップルの株式時価総額は、一時、世界一に上りました。

 一方、2004年に膵臓がんの摘出手術を受け、09年には半年間の休養を取って肝臓移植手術を受けています。そして、今年の1月に再び病気療養に入り、8月に「職務や期待に沿えなくなった」とCEOを辞任。10月5日に家族に見守られながら静かに旅立ったということです。

 復帰後から数年、あのファッション――薄い色のジーンズに黒いタートルネックに身を包んだジョブズは、「新スタートレック」のエンタープライズ艦長、ジャン=リュック・ピカード(ヘッドも顔立ちもちょっと似ている)のように頼もしく、巧みなプレゼンテーションが展開するステージからは、従来にも増して気迫ある光彩が放たれているように思われます。

 しかし、病と闘いながらの2004年以降は、商品やステージパフォーマンスの素晴らしは変わらずとも、次第に痛々しい姿になっていきます。iCloudなどのプレゼンを行った今年6月の最後のステージでは、頬はげっそりこけ、身体は異様にか細くなり、彼の訃報が近くなっていることを予想した人も多かったのではないでしょうか。

 膵臓がん手術の翌2005年、ジョブズはスタンフォード大学の卒業生にスピーチをしています。彼が人生から学んだ3つのお話ですが、3つ目は「死について」です。

▼スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版
http://video.google.com/videoplay?docid=9132783120748987670#
▼日本経済新聞の日本語訳と英語原文
http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A88889DE1E7E6E7E7E4E4E2E2E
AE3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2E6E0E2E3E3E0E4E1E3


 少し長くなりますが、彼が死について語った言葉を上記日本経済新聞電子版から引用しましょう。

 ≪私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていることをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、何かを変えなければならない時期にきているということです。≫

 ≪自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。≫

 ≪死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。≫

 人間は死ぬ。自分もいずれ死ぬ。そうやって常に死を意識することは生へのエネルギーになるでしょうし、意識できる人間は強いと思うのですが、ジョブズもそうだったんですね。そして死をプラス思考で考え、小さな個人にとらわれずに生命という大きなスケールで考えれば、「生物を進化させるという、生命の最高の発明」だなんて、なんとすごい発想でしょう。社会への旅立ちを迎えたその場の若い聴衆に、ジョブズはさらに語りかけます。

 ≪あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。≫

 ジョブズの強烈な自我や仕事での徹底したこだわりは、死を意識するゆえの“自分生かし”だった、と言っても良さそうですね。極端な言い方をすれば「自己中」で良いと言っているのでしょうが(実際、ジョブズにはそういう面はあったわけですが)、決して、「自分以外はバカ」と他人を見下すような自信過剰で全能感の人であれ、と言っているわけではありませんし、努力なくして「世界でたった一人の私」で良いと言っているわけでもありません。

 ジョブズの言葉を、謙虚に、真摯に受け止めれば、これほど勇気の湧く言葉もないと思います。このとき彼の言葉に鼓舞され起業した若者もいたそうですし、人生の終盤近いこのおばさんの私だって、なんだかとても元気が出てきます。

 スピーチの最後の言葉「Stay Hungry. Stay Foolish.(ハングリーであれ。愚か者であれ。)」は、ジョブズが感動したというスチュワート・ブランド制作の本『全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)』にあったものですが、ジョブズの“自分生かし”を如実に集約していますし、ジョブズが製品や事業や生き方を通じてみんなに訴えたかったことなのではないでしょうか。

 シンプル極まりない黒っぽい衣装に身を包み、次第にやせ衰えていった晩年のジョブズ。見た目は苦行する釈迦のようですが、全体としては苦行では悟りを開かれず菩提樹の下で瞑想することで悟りを開くことになる釈迦が想起されます。実際、2004年の手術を終えて退院したジョブズは、人柄が一変したそうです。表情はずっと穏やかになり、例えば、会社でも自分が先に部屋の出口に着くと、後から来る人のためにドアを抑えて待つなど、それまでは持ち合わせていなかった心遣いもするようになったそうです。「それでいて仕事の上での切れ味は変わることはなく、一段上のステージに上がったような印象を受けた」と、身近にいた人の一人が述懐しています。

 道を極めんとする修行僧のように、道を広めんとする導師のように、自分の信じる道を、厳しくも激しく、そして、軽やかにして茫洋として、生き切った晩年のジョブズでした。



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