第12回
 こんなに身近に祖父母を、父を感じたことはなかった。
 5年前、克巳も心弾ませこの道を歩いただろう。私と違って26歳まで生活した故郷だから、たくさんの思い出も詰まっている地だ。
 町並みも、住む人々も変わった。が、克巳の心の中には当時の風景がそのまま残っている。わんぱくだった少年の頃、中学生の頃、青春の頃、好きだった人のこと、故郷を棄てた喪失感、様々な思い出といっしょに克巳は夢中で歩いただろう。
 川が流れている。川端を歩いていくと「折尾旅館」という看板が目についた。古びた小さな旅館だ。克巳が代用教員として初めて受け持った生徒のひとりが、折尾旅館の娘さんである.当時5年生。とてもかわいい子で、「先生、先生」と身体ごとぶつかってくれたと楽しそうに話していたのを思い出した。
 若い克巳が、一人ひとりの子供達と熱い思いで向き合って生きた日々があったのだとなぜか嬉しくなった。
 父の地図にはあとふたつ印がついている。
 則松小学校と東筑中学校(現在は福岡県立東筑高等学校)。当時小学校は自宅から3キロメートル。小学生の足で歩いて50分の道程を毎日友達と通った。途中いつも寄り道をして石投げをして遊んだ溜め池は、埋め立てられ公園になっているという。その公園のすぐ近くに東筑高校がある。
 東筑中学の後輩に、俳優高倉健と、元オリックス・ブルーウェーブの監督仰木あきら氏がいる。
 コーヒーを飲んで休憩をしたら東筑高校と公園に行き、早めに国民宿舎あしやに行くことに決めた。
 駅前に停まっていたタクシーに乗った。運転手さんは60歳代の優しい人に思えた。
「どこからですか」「おひとりで旅行ですか」あたりさわりのない会話が続いた。
 私が明日は西川炭鉱という永谷という所に行きたいということを話すと、「永谷」といわれ絶句された。
 運転手さんは、北九州市八幡西区の光明タクシーに勤務する藤田さんといわれるが、永谷出身であり、西川炭鉱の近くに長い間住んでいた方だった。
 私は偶然の出会いに不思議な力を感じた。
 父のメモは「長谷」となっていたが本当は「永谷」だと藤田さんは言った。「ああ、そうですか」と私が納得のいかない顔をしていたのだろう。「ホラ」と運転免許証を見せられた。そこには間違いなく「永谷」という文字が印刷されてあった。
「炭鉱の跡地だというても、ほんなこつ何もなかですよ。それでよかですか」
「もちろん、構いません。明日連れて行って下さい」と強く言った。
 西川炭鉱で祖父母は出会った。大正7年から8年だと思う。大正10年に父が生まれ、14年には折尾に移ったので永谷での生活は7年位。でも祖父母にとっても父にとっても原点といえる地だ。
 その地に立つ為に私はこの取材旅行を計画したのだ。
 朝9時半に玄関前に来てもらうよう頼んで私は車を降りた。(つづく)
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