第2回
 祖父、悦喜と祖母、カヨは若い頃、福岡県鞍手郡西川村永谷の小山、西川炭鉱で出会った。農家の3男坊である悦喜には譲り受ける土地などなくて、食べて生きていくために炭坑に来た。
 カヨも貧しい農家の6人兄弟の末っ子。小学校を卒業するとすぐに近くの炭鉱に働きに出された。悦喜は頑丈な身体を持ち、厳しい仕事にもかかわらず、人の2倍も働き小金を貯めていった。ふたりは結婚をし、先山、後向きとしてコンビを組みながら炭鉱で働き、夢を叶えるために節約生活を続けた。
 大正7年か8年にふたりは出会い、大正末期に折尾市に小さな魚屋を開店した。それからはふたりとって、いちばんいい時代だった。魚屋が成功すると豆腐屋も開店し、魚屋からでる残りもの、豆腐屋からでるおからを利用して数十頭の豚も飼った。商売は繁盛し、お金も儲かり、多勢の従業員も雇い、生活は順風満帆だった。もともと勝負師の血が流れてしたのか、悦喜は全財産をつぎこんで豪華な料亭を建てた。
 しかし時代は戦争への道をまっすぐに進んでいる昭和初期。初めは軍需景気でよかったそうだが、戦争が激しくなるにつれ、経営は火の車となっていった。統制経済で食料品も手にはいらなくなり、人々も料亭通いどころではなくなってきた。
 この頃悦喜の心は荒れ始めていた。飲み、打つ、買うの自堕落な生活が続いた。幼い頃から歯をくいしばって働きずめで生きてきた悦喜の挫折だった。悦喜には時代を見る目がなかった。
 そんな時だった。カヨが籍を抜き、風呂敷包みひとつ抱え家を出たのだ。カヨは43歳。その時息子である父、克巳は23歳だった。料亭で女将として働いていた頃のお客さんのひとりと駆け落ちしたのだろうと克巳は言うが、真実は誰も知らない。カヨはその男の人に関することは何も語らずに逝ってしまった。
 戦争が終わり、悦喜と克巳はすべての財産を処分して借財を返し、無一文となって熊本から再出発をした。男所帯の不自由さを見かねてのことか、仲にはいってくれる人があり、克巳は母、良子と結婚した。昭和21年のことだ。姑の苦労をしないですむというのが、良子が結婚を決めた大きな理由だったのに、3人の生活が軌道にのり半年が過ぎた頃、突然カヨが帰って来た。昭和22年、カヨは48歳になっていた。手をついて頭をさげたカヨの隣に悦喜が座り、いっしょに手をつき息子に許しを乞うたそうだ。
 それから狭い家での同居生活が始まる。嫁と姑の関係と共に、父の祖母に対する屈折した愛情を感じながら、私は育った。地の底の暗やみの中で石炭を掘る厳しい労働を通じて出会い、心をふるわせた若い日のカヨの恋。43歳の時、どうしようもない心の炎につき動かされ、何もかも捨ててひとりの男性の胸の中に飛び込んでいった不倫の恋。今と違って周囲の目も厳しく生きづらい時代だった。
 このふたつの恋を中心に、カヨの心の宇宙にせまりたいと思っている。炭鉱のあった場所、所帯を持ちふたりで生活を始めた炭鉱の共同住宅、魚屋、豆腐屋、そして料亭は今でも残っているだろうか。
 おそらく何もかも消え去っているに違いない。でも祖父母が、父が歩いた道を私も歩こう。その道に立つことが、祖母の心の宇宙にせまる出発点だと思う。 (つづく)
バックナンバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
ページTOP