第5回
 折尾駅に着いた。
 博多を出てから小さな駅を次々に通り過ぎ、ふたつめの停車駅。特急が停まるので大きな駅かと思ったが、木造の古びた小さな駅だった。
 駅前にしばらくの間じっと立っていた。右隣にあるトイレから特有の臭いが漂ってくる。小さな商店が軒を並べ、にぎやかな声もいきかう庶民的な町だ。
 時間はお昼を少し過ぎている。汽車の中で弁当を食べたのでお腹は大丈夫。すぐに行動できる。今日の私はシャツにパンツにスニーカー、薄手のジャンパーを腰に巻き、リュックを背負い歩きやすい恰好だ。
 心までうきうきドキドキしている。
 父から渡された地図を取り出す。折尾駅を起点として、いく本かの道路が走り、目立つ建物の名前が書かれている。そして魚屋、豆腐屋、料亭のあった場所には赤鉛筆で印がついている。
「折尾の町は小さか町だけんゆっくり歩いても半日はかからんけんね。タクシーなんか乗らんで歩かなんばい。夜は国民宿舎<あしや>に予約しとるど。あの砂浜ではよう泳いだ。堂山、洞山と呼ばれるふたつの島までいつも泳ぎよったとに。いつのまにやら埋め立てられ今では地続きになっとる。海が綺麗な所だけん朝から散歩してこい。明くる日に炭坑の方に行くとよか。もうなんも残とらんと思うが、俺の生まれた所だけんね。タクシーを使わなんけど半日いくらで交渉した方がよかかもしれん。俺もいっしょに行きたかばってん腰も痛いし、おまえはひとりで行きたいんだろ。行ってこい」
 父はそう言ってこの地図と明日炭坑に行く時に必要な覚え書きとこづかいをくれた。
 折尾は克巳が4歳から26歳まで住んだ青春の地である。
 熊本に移り、年を重ねた父は退職後65歳、70歳、75歳と3度折尾へ行っている。 
 最初の一度めは母も同行した。しかし、なんにもない折尾の町を疲れも忘れてひたすら歩き回るだけの旅にはついて行けない、こりごりだと言った。
 父の書いた地図は正確だ。駅からいちばん近いのは豆腐屋、次は料亭、魚屋となっている。でも私は魚屋から行ってみることにした。
 地図を見ながら歩き始める。
 祖父母が炭坑の共同住宅を出て、小さな家を借り魚屋を開店する時どんな気持ちだったろう。4歳の克巳の手を引いていたカヨは24歳、悦喜は29歳、新しい出発だった。
 駅から歩いて20分。今、その地は駐車場だ。所在地は八幡西区堀川町10となっている。海から遠いこんな山の手になぜ魚屋をと私は不思議に思ったが、よく考えてみると魚を手に入れるのが不便なこの地こそ魚屋に最適だと悦喜は思ったのだ。
 響灘で捕れる生きのいいイワシ、イカ、アジ…等を仕入れ、悦喜は慣れない手つきで真剣に魚をさばく。カヨは店先で笑顔で恥ずかしそうに「魚はいらんかね。開店記念におまけしとくよ。買っていかんね。生きのいい魚だよ」と叫んだろう。
 昼過ぎからは、悦喜はびくに魚を入れて天秤棒で担ぎ、ご近所の勝手口を廻り行商をした。
 若い夫婦がとびきり新鮮な魚を商う。おまけにそこのおかみさんは美人で、ご主人は働き者だ。小さな店はやがて多くの人達に愛され繁盛するようになっていった。(つづく)
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