第7回
 買ったばかりの椅子に座り、先方が払うと言った慰謝料の使いみちをあれこれ考えた。こんな時傷心旅行と言って、外国行きをすすめる旅行会社もあるけれど、そんな事をしたら本当に傷心しましたと認めるようなもので、またそうなってしまいそうで、止めることにする。パッと一瞬にして使ってしまう手もある。例えば競輪、競馬、競艇、パチンコに注ぎ込む。負けるかも知れないが、勝つかもしれない。美容整形をして羨望の的になり、往来を闊歩するのはどうだろう。寄付をして表彰を受ける。しかしどれも胸がワクワクしなかった。
 この椅子があればいいと、椅子に座りここしばらく縮込まっていた手足を伸ばし、大きく深呼吸した。いつものリズムと違った呼吸をしたせいか全身は喜び、快い眠りに就いた。
 夢を見た。
 椅子があの純ちゃんに代わっていた。純ちゃんの体の表側と玉枝の体の裏側がくっついた格好になり、生温かい人間の、いや純ちゃんの感触が着ていた服を難なく通り抜け、お互いの体温の温度まで確認できそうなくらい強く押し合っていた。しかしその激しさに気の効かない心臓はつられて動き出し、快い眠りのバランスが崩れてしまった。
 目が覚めてしまった。夢だった。夢だったのか――。
 仕事を探さなければならない。
 短大を卒業して、少しばかり会社勤めをした経験はあるが、何か資格を持っているとか人に比べて秀でているものはなく、将来に不安がない訳ではなかった。興味がある事と言えば、庭で花が咲くのを見るのが好きだったから、ガーデニングの講座を受けた事はあった。
 新聞の折り込みの広告の中に造園店でパートの募集があった。
 面接会場へ行くと、大勢の人が集まっていた。確か採用人数は三人だったから大変な倍率だ。土がそこかしこに落ちている作業場のような所で順番を待っていると、あちこちから囁くような声が聞えて来る。子供の学校の事、塾の事、習い事の話だ。隣の人が
「子供さんは何年生ですか」 
 と聞いて来た。
「子供はいません」
 そう答えるとその人は黙ってしまい、他の人と話を始めた。語気を強めたせいだろう。
 どうやらここは子供のいる人達が集まっている所のようだ。
 面接は止めて外へ出た。
 夫から慰謝料を毎月払ってもらう事になっているが、お互いが納得した金額を一度にまとめてもらいたくなった。決して小心者のように相手を疑っている訳ではなく、嫌がらせでもなかった。札束を目の前にしてじっくり眺めたかったし、重さを両手で感じると新たな発想が湧き上がるかも知れないと考えたからだ。また堅実に生きて来ても失敗した代償としてのお金を、少額ずつ銀行の通帳で数字として見ても、この体がすんなり回復するだろうかとも思った。
 夫へ電話をした。その事を話すと、ひと呼吸置いた後
「無理だよ」
 と言った。
「じゃ、親に頼んで」
 一つの案を提示した。
「うん」
 心もとない返事だったので、それから数回会社に電話した。
 何日か経って了解の返事をもらった。(つづく)
バックナンバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
ページTOP