寺山修司、と聞いただけで、自分の若い頃の様々な想いが浮かんできました。
私が初めて寺山修司を知ったのは、まだ高校生の頃? 確か学習雑誌の俳句のコーナーだったっけ。北国の海と向きあいながら人生の想いを語る彼の言葉に惹かれたのを覚えています。
やがて寺山修司の作品「誰か故郷を想はざる」「時代の射手」「書を捨てよ町へ出よう」「思想への望郷」等のエッセーや評論、戯曲、長編叙情詩「地獄篇」などに惹かれるようになり、大学を卒業して東京に出てからは彼が立ち上げた渋谷のアングラ劇場「天井桟敷」に入り浸る日々でした(笑)。
今思うと、彼の思想はその後の私の人生にも大きな影響を与えているような気がします。いい意味で。
……って、今回のコラム、音楽と関係ない話で始めてしまいましたが。実は先日聴きに行ったあるソプラノ歌手のリサイタルで寺山修司の世界に出会い、色んな想いが甦ってきたので。
そのリサイタルとは、ソプラノ歌手、春日信子さんの『大中恩のせかい・ひとりぼっちがたまらなかったら』
全曲が作曲家・大中恩氏の作品、そして第1部の21曲は全て寺山修司の詩によるものでした。
最近はあまり寺山修司の作品にも目を通していませんでしたが、久し振りに遠い青春時代の夢や孤独感や未知なる世界への憧れの気持ちを、ちょっとだけ思い出したような気がしました。
私が大学時代に探検部を創設し、部誌の創刊号に「果てしなき未知への飛翔」というテーマを掲げたのも、どこかにそんな気持ちがあったのかも知れません。
そして、大学卒業後に就職した東京の某大手企業を数年で辞め、全く畑違いの小さなデザイン事務所に弟子入りし、その後熊本にUターンしてデザイン会社を興したり、ふとしたきっかけからピアノに目覚め、素人ながら教則本を出版したり、ライブを開いたり。
まあ、これらも「果てしなき未知への飛翔」の連続か?と言ってしまえばそれまでですが、考えてみるとどこか青春時代に惹かれた寺山修司の影響があったのかも、な〜んていう気がしないでもありません。
あ、すみません! つい自分勝手な物思いに耽ってしまいました。
音楽(ピアノ)の話はどうなったんだ? と言われそうですが(笑)。
今回は寺山修司の世界が大中恩の音楽とひとつになって、思いがけず自分の中に甦り、改めて音楽の力を感じたのでした。
思うに、音楽をやるのに指の訓練とか音楽理論の勉強とかはもちろん大切でしょうが、もっと本質的な、音楽が紡ぎ出す世界を感じ、語り、自分の中に広げていくことがベースとして重要なのではないかという気がしています。
そんな意味で今回の、音楽を媒体として目の前に広がった寺山修司の世界も、とてもいい体験になりました。
リサイタルの第2部では、やはり大中恩の作品の中から「アマリリスに寄せて」という曲がありました。これは、93歳になる大中恩さんが今年初めに春日信子さんのために作曲し、今回のリサイタルが初演だったとか。スゴイ! 大中恩さん93歳で現役バリバリなんだ。まだまだ自分も頑張らなきゃ。
ステージにはアマリリスの大きな生け花が飾られ、終演後には観客皆んなに深紅のアマリリスの花が1本ずつ配られました。
頂いた時はツボミでしたが、家に帰ってから飾っていたら、ステージの春日信子さんを思わせる深紅の妖艶な花が開いてきました。
アマリリスの花は咲いてきましたが、寺山修司の詩には目に見えない花がたくさん咲いています。
………
そこに
みえない花がさいている
ぼくにだけしか見えない花が咲いている
だから
さみしくなったら
ぼくはいつでも帰ってくる
(寺山修司『見えない花のソネット』より、一部抜粋)
(続く→原則毎週火曜日更新)
an弾手(andante)
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