Vol.45  動く時 −素直な気持- [2006.6.20]
 こんなメールをもらった。

『人の繋がりは、不思議なことが多いけど、
偶然を起こすのはその人その人がどれだけ、
その「種」を仕込んでいるかですね!

これからもよろしく!』

 最近、思わぬところでお誘いや問いかけをいただくことが続いた。
「いっしょに行きましょう」ではなく、「○○をやっています。(是非)来てください」というかたちで。
自分で行動することを促され、そして私は動くことができた。そうすると、そこでおもいがけない出合いが待っていたりする。

『バイオリズム』は確かにあって、悪い時期、良い時期というものが存在するようだ。
いい時期には、はじめに何かのきっかけがある。自分の気持が上向きになり、そうすると周りにも潤滑油のようなものが作用しはじめて、いろんな関係がスルスルとうまく行く。
 逆に悪い時期は、何をしても気分が乗らず、周りも重く見えて、上向きになるきっかけを何かと逃しがちにだ。そういう時は、深呼吸でもして身の丈のことをしていればいい。でも、大事なことなのに、それすら楽しくない。しかし、そんな時がいくら続こうとも、苦あれば楽ありというように必ず、また良い時期になる。

 もらったメールを読んでいたら、『その人その人が偶然を起こす「種」』を蒔いているかどうか、仕込んでいるかどうか、それはとっても大事なことだと思えた。
 積極的に何かをするということ、それは決して、ゴリ押しで遂行するということではない。
その違いはこうではないだろうか。
キリキリと心に余裕がないと、利害に妙に敏感になってしまったり、大切な直感のアンテナが曇ってしまうように思う。反対に心にゆとりがある状態で生きられたら、心が素直になって、そこに、『生まれる』。それが(いろんな)関係の中で自然に育っていくような『種』が。

 この『今』もまた、次の波に繋がっていくのだろうな。
来るその波が高くても低くても、いたづらに抵抗せず、ほんの少し無理もしながら、やわらかい気持でやっていけたら。自分の生き方にそろそろ責任を持たなくちゃ。な〜んてね。
-END-
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