Vol.42  北陸出張記 [2006.3.23]
 2月の最終の週、3月との境目にほぼ1週間北陸に出張した。
 金沢へは20年ほど前に一度父と旅行したが、その旅の拠点の名古屋に降り立つのも実ははじめてだった。今回はアメリカからの2人がいっしょ。2人ともアメリカ人のおじさん。
会社の日本人技術者もいっしょだったが、今回は主に通訳役を頼まれ、工場内の説明ですっかり声が枯れた。

 車輌関係の生地の工場は、前に手掛けていたデザイン生地とその質感などは違っても、方法や流れはほぼ同じ。それでも事前に専門用語は少しチェックしておいた。そしてとどのつまり、こんなことを思った。
説明したり、案内するということは、日常の人間関係と同じく、その人たちが何を欲しているか、何を知りたがっているか、要は『その人の身になって考え、伝えること』でもあると。

 アメリカと日本では資本力やいろいろな規模の違いから、いろんな食い違いが産まれたりする。
彼等は何でも一ケ所で合理化された事に慣れているから、分業のような日本の繊維関連の工場の在り方は非常にこまぎれの非合理だと映るもよう。日本側はそれを知っているから、必要ないところで謙遜する。でも、その気持がお互いになんとなく通じない。

 互いが曖昧に理解していた場合、問題が起きた。
聞いてみると、私がまだ出張に参加していなかった月曜日、商談で、『今日、あの話に基づいて違うサンプルを見せてくれる約束をした』と思い込んでいたアメリカ人。でも、実際はそんな話ではなかったそうだ。
 一方的に険悪な目つきをする彼等。お決まりのように日本人はハッキリ言わないというまなざしだ。
私は月曜の話には参加していない、という強みもあり、こう言った。
「お互いに合意するまで確認をしないといけません」
このとき大事なのは"You both..."の"Both"『お互い』という単語だった。どっちもどっちなんだから。
とりあえず大きくうなずいてくれて、ひとまずホッ。
しかし、日本側は「あ...う〜ん」で、結局私も何を通訳していいのかわからないことも多かった。日本語できちんと話せば全くいいのに。これではくやしいかな彼等には私達に意見がないと感じるか、どうにも中途半端な心地になるようだ。ビジネスではすぐにOKしてはいけないことも多いだろうが、これではいけない。

 帰りは、私とアメリカ人のマネジャー2人で東京に戻った。最終的に彼をレストランに送り届ける(ダケ)という役目を仰せつかったからだ。(ま、いいか)
私は一人でアトランタへ行ったぞ。でも、はじめてのアトランタ空港には思いがけなく日本人の同僚が車で迎えに来てくれてたっけ。
 さて、いきなり想定していなかったことが起きた。東京駅で彼が車内に本ごとチケットを忘れるというアクシデント。でも、新幹線の終点が東京駅だったし、指定席に乗っていたからまあ大丈夫だろうと、すぐに改札の駅員さんに聞くと、すみやかなご案内。
『車内点検がちょうど終わっている時間です。あの階段を上がった駐在室に行ってください』
本とその中のチケットはちゃんとあった。手に本をかざしながら階段下の大きな荷物を抱えたアメリカのマネジャーに手で合図。彼はバツが悪そうだ。「It's OK」すっきりその話題から離れた。

 レストランへはあらかじめ、大きなトランクを抱えた彼をそのまま接待場に行かせるわけにも行かないだろうと、余裕を見てホテル経由の計画をたてていた。なので、彼は車内ではごくカジュアルな服装をしていた。
しかし、さっきのアクシデントで15分ほど時間を食ってしまい、夕方のラッシュアワーにさしかかりはじめていた。タクシーに乗るとあらかじめ用意しておいた地図を運転手に渡した。どうにかホテルにたどりついた。それからチェックイン。なるべく早くロビーに来るようにお願いした。その間にフロントに10分後に1台タクシーをお願いした。
 ほどなくジャケットを着て現われた彼をタクシ−乗り場に。
乗り場では片耳ヘッドフォンをしたホテルの女性が『今、フロントから連絡受けました。どうぞお気を付けて』ちゃんとタクシーが1台待っていた。さすがの対応。だがこれがサービスの基本でもあり、良い例のひとつだろう。レストランへの分かりやすい道もゲットしておいた。それを告げると、タクシーはすっきりとレストランへ到着した。やれやれだ。

 『気を使う』とほとんどがストレスになる。でも、『気を配る』ことができたらけっこう楽しい。シチュエーションがどういう状態なのかを把握して、自分だったらこうあってほしいということを考えてみる。そうすると自然に場所や時間の配分や用意しておくものが出てくる。そのあとは臨機応変にやるしかない。でも、そんな時はいろんな体験や失敗こそがどうやら味方してくれるようだ。
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