1月。休日出勤をした。
車のファブリックデザインに移ってはじめての休日出勤作業。私の仕事も生地になって上がってきた。
で、「その日の『代休』をとって良い」とのお達しで、2月の月曜に設定。
「代休なんてひさしぶりだけど、きっといつものように、ただ身体を休めるだけだろう」と思っていた。
確か、メールでそのことを告げた友だちもひとりふたりいた、と思う。
ある日、友だちから電話があった。
「そのお休みの日に来ない?」
彼女は以前勤めていた会社で当時、私のデザインを見てもらうお取引先の人だった。仕事の成りゆきは順調。しかも売り上げも伸びたブランドだった。彼女も私もそれぞれに互いの会社を退社したが、プライヴェートでも、何年かの間にとっても仲良しになった。
その日、彼女が1日だけ仕事を手伝っている、広尾の事務所にお邪魔することになった。事務所と言っても、『住居件事務所』。東京、広尾にその類いでお邪魔するのははじめてだった。とてもとても寒い冬の2月の月曜。
少し古めのマンションの最上階にそれはあった。頬を刺すように吹きつける真冬の風。けれど私はそこから見える眺望にふと振り返った。広尾。東京の瀟洒な住宅街。
木枯らしの中でこうやって眺めても、それはとっても丸く穏やかなものに見えた。
感じたのは『人が住んでいる』ということ。心地よさの中に見えるものがあった。
以前住んでいた西荻窪。友だちは同じ西荻窪の11階建ての最上階に住んでいた。
いつも、自分の住む2Fからしか見ていなかったその街の階上からの眺め、胸の好くような爽快な気分で感じたものだった。
晴海のタワーマンションに住む友だち夫婦の家からの夜景は、まるで映画『ブレードランナー』ばり。
思えば大学のころの八王子の階上からの眺めは、米沢のころの感じと似ていた。人が住む幸せな感じが夕闇のあかりにふと見えるような。
疲れたある日、四ッ谷から赤坂見付まで、なぜだか上智大学の土手に登ってみた。丸ノ内線がここだけ地上に上がる。それと平行して進むJRの線路は遠く見え、むしろその向こうの迎賓館と並木がまるで異国のように在った。
整頓されてはいるが、今は茶色いだけのその土手。ふと見上げた頭上の枝には、ちゃんと春を待つ『つぼみ』が本当にたくさん。しっかりと、まだ枝の色をして。
そう、ここは東京でも指折りの桜だ。
所変われば、NYブルックリンの友だちにひっぱられて、そのアパートの屋根にも登ったことがある。落ちそうで怖かったけど、サイレンの聴こえる快晴の空の広がりの中に、何か日本で感じるのと本当に異質のもの、危うさの中の妙にリアルな生活感とでも言おうか、そんなものを感じた。
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