Vol.41  眺め [2006.2.23]
 1月。休日出勤をした。
車のファブリックデザインに移ってはじめての休日出勤作業。私の仕事も生地になって上がってきた。
で、「その日の『代休』をとって良い」とのお達しで、2月の月曜に設定。
「代休なんてひさしぶりだけど、きっといつものように、ただ身体を休めるだけだろう」と思っていた。
確か、メールでそのことを告げた友だちもひとりふたりいた、と思う。

 ある日、友だちから電話があった。
「そのお休みの日に来ない?」
彼女は以前勤めていた会社で当時、私のデザインを見てもらうお取引先の人だった。仕事の成りゆきは順調。しかも売り上げも伸びたブランドだった。彼女も私もそれぞれに互いの会社を退社したが、プライヴェートでも、何年かの間にとっても仲良しになった。

 その日、彼女が1日だけ仕事を手伝っている、広尾の事務所にお邪魔することになった。事務所と言っても、『住居件事務所』。東京、広尾にその類いでお邪魔するのははじめてだった。とてもとても寒い冬の2月の月曜。
 少し古めのマンションの最上階にそれはあった。頬を刺すように吹きつける真冬の風。けれど私はそこから見える眺望にふと振り返った。広尾。東京の瀟洒な住宅街。
木枯らしの中でこうやって眺めても、それはとっても丸く穏やかなものに見えた。
感じたのは『人が住んでいる』ということ。心地よさの中に見えるものがあった。

 以前住んでいた西荻窪。友だちは同じ西荻窪の11階建ての最上階に住んでいた。
いつも、自分の住む2Fからしか見ていなかったその街の階上からの眺め、胸の好くような爽快な気分で感じたものだった。
 晴海のタワーマンションに住む友だち夫婦の家からの夜景は、まるで映画『ブレードランナー』ばり。
 思えば大学のころの八王子の階上からの眺めは、米沢のころの感じと似ていた。人が住む幸せな感じが夕闇のあかりにふと見えるような。

 疲れたある日、四ッ谷から赤坂見付まで、なぜだか上智大学の土手に登ってみた。丸ノ内線がここだけ地上に上がる。それと平行して進むJRの線路は遠く見え、むしろその向こうの迎賓館と並木がまるで異国のように在った。
整頓されてはいるが、今は茶色いだけのその土手。ふと見上げた頭上の枝には、ちゃんと春を待つ『つぼみ』が本当にたくさん。しっかりと、まだ枝の色をして。
そう、ここは東京でも指折りの桜だ。

 所変われば、NYブルックリンの友だちにひっぱられて、そのアパートの屋根にも登ったことがある。落ちそうで怖かったけど、サイレンの聴こえる快晴の空の広がりの中に、何か日本で感じるのと本当に異質のもの、危うさの中の妙にリアルな生活感とでも言おうか、そんなものを感じた。           
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 私は今、2階建ての2階に住んでいて、考えてみると米沢時代の3ヵ月間の5Fをのぞくと、東京ではなぜか2階以上に住んだことはない。
けれど、ある日階上に登ってみると、そこで何かが見える。展望台だ。
展望台には一瞬がいい。いや、海を眺めるように、どんなに長くいても一瞬に感じてしまうのかもしれない。

 私の今の2F住まいからは月も見える。地上からも、住宅地からはめずらしいような空と月がのぞめる。
こじんまりとしているから、気付かなければきっと気付かない。けれど、そう。
なんだか、育った環境に似たものを無意識のうちに探しているのかもしれない。それがきっといとおしいのだと、思う。
-END-
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