Vol.32 鉢 [2005.5.27]
 見回すと1DKの私の部屋にはちょっとしたジャングル風のスポットがある。
観葉植物が何と10鉢。ひっこしの時は一番気になるものになったりした。

 それは全部10年から15年ほど前に500円ほどで買った小さなポット。それから、友だちがくれた、ほんの小指の半分くらい、小さな小さな3本ほどのオリヅルランの苗。もらった時あまりに小さいので、まるで赤ちゃんみたいだと思った。

 育てていたら、赤ちゃんだったのは、何と一抱えの大きさの3鉢に増えた。他の鉢の中には私の背丈にまでなったものもある。
 種類はセローム、パキラの一種、カシワバゴム、ゴムの木、オリヅルラン...。
全部グリーンだけのものばかりで、花ものはひとつもない。あらためて眺めてみると、ちょっとした南の島の植物園気分にもなる。バハマに行った時、そこかしこにあった野生のカシワバゴム。それとちょっぴりオーバーラップしたりする。

 大して世話をしたつもりもないが、植替えをしたり、たまにはシャワーをかけてほこりをとっている、と友だちに言ったら、「充分かわいがっている」と言われた。
...そうかもしれない。

 ある意味、気にしていないと、植物たちはとても元気に育つ。
一番長かった20日ほどの出張から帰ってきた時、しおれていたからあわてて水をあげた。すると、私が寝床につくころにはぐんぐんと起き上がってきて、私は驚いた。
その時はどの鉢も枯れなかった。
 でも、失恋と同時に枯れた鉢がいた。その中の赤い輪郭のオリヅルラン。
大好きだったのに、元気がなくなっていて、そのころ枯れた。確か、枯らしたのはこれが3鉢目だったかしら?

「おもい(思い、想い、憶い, ...重い...)」はいつか、伝わる。人に対してはそんなことをついつい、おもってしまう。これが「期待」

 私は鉢をただ、育てている。鉢たちがそこにあるから。
あたたかいひざしのある日、鉢を日に当てるのも、ただ、当てたくなるから、といった具合。 会話をするわけでは、もちろん、ない。

思えば、すべて、ある日、好きで買ったものばかりだ。けれど、そのあと何かを期待して育ててはいない。
それでもあたらしい葉っぱが出てくると、とてもうれしい。
そんなことをふと、感じるようになった。
-END-
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