Vol.31 春 [2005.4.25]
 4月、入学式の季節。
いつもこの季節、私はほのかに思い出す。

 私は小学校の入学式に出ていない。
熊本市内の小学校に通ったが、その小学校では、その年の入学式の日取りが何かの関係で変更になっていた。 あのころはまだ家に電話もなく、もちろんメールもなく、今思うと随分のんびりしていたなあ、と思う。
どうして郵送しなかったのかいまだに不思議だが、その、”日にち変更の知らせ”を新一年生の近所に住む在校生に届けさせたらしい。どうやら、誰だかわからないその子が、違うお宅へその手紙を届けたようだった。新一年生になる友だちも、近所には住んでいなかった。

 その日、私は居間で絵を描いていたと思う。ともかく、居間のテーブルについていたのを覚えている。
少し前に、母がこう言って笑顔で台所から出て行った。
「マリちゃん、明日は入学式だから、おかあさん、ちょっとパーマやさんに行ってくるね。すぐ帰るから」
「ウン!」
そんな会話のあと、私は居間にいた。
今では親友のような妹(ある意味、私の姉のよう)は一体どこにいたのだろう?幼稚園?申し訳ないが全く覚えていない。

 しばらくすると、台所のドアがガチャッと開いて...。
そこにいたのは、わかめみたいな髪の毛を垂らした我が母親だった。洗ったばかりの髪のまま、多分走って帰ってきたのだと思う。
もう、30数年、40年にも近い昔のこと。
「マリちゃん、今日ね、入学式だったって!パーマやさんから聞いたの」
「ええ?」
私には、まだあまり事の重大さはわからなかったけれど、そう答えた。
「着替えて行こう、小学校に、ね」
わかめみたいな髪の私の母親は、”明日”のために、ちゃんとあらかじめ私に準備していてくれた、よそいきのワンピースを着せてくれた。 紺色で襟のところに白いレースがついていた。
「じゃあ、学校に行こう」
二人で歩いて小学校に行った。
 私は、母がいつ、あのぬれたままの髪の毛をきちんとしなおしたのかも覚えていない。
母の心の中はどんなに動揺していたか、今では想像もできるが、その時はとてもやさしくて落着いてさえいたのを覚えている。
私があの場の母親だったら、あんな風に落着いて振る舞えるだろうか、と今、そう思う。

 学校に行くと頭をきれいに結った先生。
当時のおしゃれで、しかもきちんとした感じの、黒いリボンを大きなシニヨンに結わえた先生。私はその髪型と笑顔を覚えている。
「本当に申し訳ありませんでした。...どうしていらっしゃらないのかなあ、と思っていました...」

子供は教室に私たったひとり。先生と、母とピンク色の紙で作った花が並んでいたのを覚えている。
自分の名前を言うと
「そう。じょうずに言えました。お席はここですよ」
と先生が教えてくれた。
そのくらいしか覚えていないけれど、母親が終止やさしかったのと、自分が、はじめての「学校の先生」としっかり向き合ったような記憶がある。

 その日のうちか、その次の日だったかと思う。
母が少し前に
「マリちゃん、これ、新しいねまきね」
と渡してくれたねまきに着替えて、私はお風呂のあと、もうそろそろ寝ようとしていた。
そこへ、校長先生がやってきた。
 お座敷にいた校長先生。母に呼ばれて行くと、校長先生が私に「おいで」と言って、ひざにだっこしてくれた。なんだかはずかしかったけど、うれしい気もしたような気がする。

 先生が帰ると母が言った。
「よかったね〜、だっこしてもらって、マリちゃん。それにあたらしいきれいなねまき着てて。あ〜、よかった〜」
今思うと、母の言葉は実に愛情にあふれていて、女らしく、やさしくてかわいらしい反応だと思う。

 思えば私は第1子。長女である。
私の小学校入学は親にとってどんなにか楽しみだったろう。祖母からの鶴の模様の赤い電報を今も、私は持っている。
 働き盛りの父親のリアクションはあまり覚えていないが、二人とも、多分びっくりしてとてもがっかりしていたのではないだろうか。でも、このことについて両親は、私の前では”よかったね”という記憶になることしか言わなかったようだ。
だからだろうか?このハプニングも、私にはいまだに人ごとのような、しかし、部分的に明確な、春のにおいのする幸せな記憶だ。                
-END-
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