私は昔からなんとなくこじんまりした上通りが好きなのだが、そこにあった老舗のお蕎麦やさん「すみだ」。風のたよりで聞いてはいたが、本当になくなってしまっていた。小さいころから両親と良く行った。今回通りかかると、ちょうど新しいテナントが入るのか、工事がはじまっていた。裏側にまわると、今まで知らなかった「厨房」の奥が見えた。誰もいない。キュンと何かがこみあげた。
上通りを奥まで歩いてみた。長崎書店の横の小道から見える熊本城の風景。高校生のころからこの眺めはひそかに気に入っていた。たとえ夏の暑い盛りにも、ここの風景はいつも涼しそうな「木陰」。この風景や、県立美術館の二の丸公園、美術館分館のカフェからのお城の眺めはどこも「緑陰」だ。私がそこを訪れるのは夏休みが多いためかもしれないが「しばし暑さを忘れるようなもの」がある。そういえば、私は泊まった事はないが、東京の昔の同僚が仕事でホテル日航熊本に泊まったそうだ。お城の見える部屋を用意してもらったそうで、とても感激していた。海辺のホテルなどで海の見える部屋をオーシャンビューというが、キャッスルビューとでも言うのだろうか。
上通りの奥、アーケードが切れるあたりからは、私が熊本にいたころには知らなかった街ができている。ここから私はおもしろいトリップをした。朝鮮飴の老舗のお店の横の小道を入ると一見田舎家だが、とても心地良いお麩やお豆腐料理のお店があった。昔の農家の土間のようなつくりだが、気取らない、しかしシンと心地よい静かな空間がある。続くその奥の小道には、感度の高いお店が何軒も。それから昔の日本の農家やお蔵をヒントにしたような、おもわず入ってみたくなるようなお店がいくつも。するとどこからかジェンベの音。アフリカの太鼓の音だ。
「へ〜、こんなところでこの音が聞こえて来るのか〜」
東京では公園を歩いていて聴こえてくることはあっても、こんな体験をした事はない。一瞬、どこか知らない異国の小道を歩いているような錯角に落ちた。そして、脳裏にこんな映像が浮かんだ。
日比谷公園の野外音楽堂で聴いた8人編成オールセネガル人ミュージシャンのアフリカンドラム。サバンナを疾走するようなリズムを叩き出す8つのアフリカの太鼓と、それを演奏する長身の、まるでバオバブの木のような美しい人たち。長歩きしたせいか、急に灼熱の太陽が照りつけているような感じが。あ、汗が。私も単純ね。しかし、いろんな記憶が入り交じって、私のお気に入りの瞬間になった。
熊本の街は小さな地域に、ほとんどすべての物が凝縮してある。そして元気がある。又、少し行くとひっそりと心地よい緑陰がいたるところに見つかる。歴史のおかげだろう。
歩いてきたこの小道を辿っていくと、ヴィラージュビルというところに辿りついた。なんともかわいらしいビル。ひとりでも気軽に入れそうなフレンチのビストロもある。なんと私が今、歩いてきたことを暗示するかのような、パサージュ(小道)という意味のお店だった。
パティオの造り。その中庭にかわいらしい小さな花壇のような植物があった。そのお隣は小さな教会。そういえば、現代美術館の子供の本の置いてあるスペースの窓から外を眺めると、そこに2つの教会が並んで見える。この現代美術館にはなんとエントランスに図書室があって、そこには中央の天井にあるジェイムズ・タレルの作品を見ながらメディテーションのできる時間帯があると聞いた。「階段の裏」という場所に在る草間弥生の作品は、私が見たどれよりも美しいと思った。その図書室まではフリーで入れるという。そんな美術館はおそらく日本でもここだけだろう。
熊本の街の小道には漂う何かがあるように感じた。面影のようなもの。
いったい、これは単に私の郷愁だったかしら?
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