Vol.18 横須賀米海軍基地 [2004.3.29]
「ちょっと待ってください」
ゲートで検問を受けるためにパスポートを見せようとした私は、エスコートの女性からそう言われた。そして次の瞬間、急に聞こえてきた音と同時に目の前の風景はかたまった。アメリカの国歌が流れ、皆が微動だにしない。朝8時。
 アメリカの国歌が終わるとすぐに君が代が流れた。それと同時に、『ウー』というサイレン音。何だろう、いや、なんともこころをしめつける音だった。皆、微動だにしない。サイレンと君が代が同時に鳴り響き、皆が目の前で固まっている。迷彩服。将校の制服。アメリカの国歌が君が代に変わっても、皆、変わらずシカと固まっていた。
「毎朝8時はこうなんです」
エスコートの女性がちょっとびっくりしている私に説明してくれた。そう、私は2月の終わり、横須賀米海軍基地内での展示会(トレードショー)の仕事で3日間横須賀基地に出入りした。

「アメリカ」。いろいろなイメージがあるだろう。しかし、ここはれっきとした『軍隊』。私の頭から摩天楼、ジャズ、エンターテインメントのイメージが瞬時にどこかへ吹き飛ぶ。そして政治、経済がすまし顔でしっかり見えかくれする。
 足を踏み入れたとたん、いや、正確に言うと、そのゲートを見た瞬間から、異国に出張に来たときの空気になっているのに気が付く。風のにおいまでが違っていた。なんだろう。皆がひそかにつけているデオドラント剤の香りなのだろうか。空港の免税店のようなにおい。いや、外国のにおい。私だけでなく、会社の同僚もそう言っていた。

 横須賀のことを話してみよう。
 ここには有名な「ドブ板通り」というなんともインパクトのある名のストリートがある。そして、そこは、まるで映画のセットのような、とでも言えるだろうか、不思議な空間をかもし出している。各所に残る、あきらかにアメリカの兵隊さんを客として意識したような古い横文字の看板。文字の形、色、それらが、なんともいえず昭和30年代あたりにタイムトリップさせる。何かがキューンとこころに滲みてくる。
 飲み屋だけではない、昔からあるといった風情の事務所が、英語の看板を出している。それはお決まりのように、店のガラスの窓にペンキで書かれていて、年期が入っている。エッジの丸い少し細長く、周りを線でくくられた文字体。50sのデザインなのだった。それが時間を経てひび割れている。日に焼けたのか、金色がかってみえる黄土色やブルー、褐色。そこから出てくる人には「ローマの休日」に出てくる、グレゴリーペックの着ているような少しゆとりのあるスーツが似合いそうだ。
 しかし、又、「戦争」「日米安保条約」そんな言葉が自然と浮かんできてしまう。別にそこが戦場だったわけではない。でも、何かが私達に重い記憶を呼び起こす。そんな何かが通りのそこかしこに潜んでいる。それでも又それが、ワッペンやシールにワクワクした子供のころの気持ちをそのまま運んでくれるような何かと実に微妙に入れ混じっている。私はまさに『ビミョーな』気分になっていた。
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 ゲートから私達は少しづつまとめられて、バスで会場まで移動した。ゲートから入れば道路があり、ニュージャージかどこか、ちょっと郊外の小さな住宅地のようだ。基地内には教会もあればHigh Schooも、ジムも、レストランも、なんでもある。 基地内では勝手に移動したり立ち入ることは固く禁じられた。
 昼食。でも、私たちが動けるのはここのビルの食堂のみ。ハンバーガーやピザ、トルティヤで巻いたサンドイッチなどしかない。そしてお決まりのようにコークやペプシの販売機。アメリカ流に日本のより2回りほどでかい紙コップに自分で注ぐようになっている。 ちょっとタメ息まじりになった。食欲がうせるのを感じた。

 バーガーキングの制服の販売員は日本人かな?と思うとやはり違う。しかたなく"Can I have No. 8?"と言って中でも一番あっさりとして見えたチキントルティヤ巻きとポテトとコーラのセットを買う。超、アメリカンな食事。「クッキーは付けるか」と聞かれた。「どんなクッキー?」と聞くと、彼女の指差したところに、大きめのせんべいほどの何種類かのクッキー。その隣には砂糖のたっぷりかかったシナモンロールが見えた。私は即答していた。"No, Thank you"

 トレードショーのとなりの場所にはジムがあって、トレードショーの終わるころになるとあふれんばかりの人たちがジムで汗を流していた。ウォーキングやサイクリングマシーンでトレーニングする、その多くのお尻は巨大だった。悪いけれど、ものすごい量の油のムダなエネルギーがここで消費されている気がした。日本人の肥満なんてちょろいと思う。でも、食堂でこんな話を耳にした。「日本人も、最近では肥満が増えているらしい。このハンバーガーとか食べるようになったからだよ」と。日本人の寿命は世界一だ。それが、今より食べ物がなく、苦しい時代を体験して来た人達を含んでいても、その数値を示しているのは、いかに日本食が優れているかを示している。ポテトチップやバーガー世代の若者には骨がスカスカな人も増えているという。気をつけよう。私はあのお尻の列と昼食を思い出してそう思った。

 トレードショーには基地内のオフィサーや隊員、ショーのために登録したビジネス関係者。そして基地で働く日本人が来てくれた。搬入の時から我が社では、私ともうひとりの英語の堪能な営業の女性が係だった。会場内で搬入や施工をしている他の会社の多くの男性陣達にまじって、私達日本人女性がたった2人で施工している。それを見たとなりのブースのおじさんが手伝ってくれた。グアムから来たそうだ。こういうところが、アメリカンな良さだ。見知らぬ人が「ハロー」と気さくに声をかける。
 高校時代と大学時代にイギリスとアメリカに留学していた同僚が私に言った。「ホスピタリティーが旺盛なんだよね。彼らは。そこがいいところ」3日間、展示会はきつかったが、そのホスピタリティーには助けられた。気さくなおもいやり、とでもいうのかな。もてなすわけでもなく、助ける、というのか、、。関係なく「元気?」「どう?」と明るく声をかけてくれる。
 でも、会期中やって来た横浜在住の上司が面白い事を言った。「なんかアメリカ人って京都人みたいだネ。ほめちぎってくれるけど、本当にほめてるのかおあいそか、ちゃんとみきわめなくっちゃ。お茶が出て来たら帰れって言ってるのを知らないと大変だっていうのと同じサ」
 私もそう感じていた矢先だったから大いに同意する。

 事務局に質問に行った帰りだったか、と思う。ジムのトレーナと廊下ですれ違った。ここでストレッチしていきなよ、と言われた。いきなりそう言われて、へえっ?と思ったが、なんだか、そう言われると立ち去れない気分。仕事中なのに、私は廊下に置いてあったストレッチマシーンに乗って、彼の指導でしばしストレッチをしてしまった。実はこれ、固まった身体に大変にありがたかった。
「ありがとう。でもボスが来ちゃう」
「来たら彼もここでやるサ!」
となりでストレッチ中の白人の女性も微笑んでいる。本当に上司が来てもここでやりそうな気がして、安心して私はにっこりする。どちらにしても、こういう会話、好きだと思った。

 なんだか、バタバタと3日間が過ぎ、さっきの1回のストレッチだけでは足りず、疲れをたっぷりたくわえもしたが、ちょっとした出張を終えた気分だ。『どこかへ行った』感がしっかり残っている。
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 横須賀の街もあかりが灯り出した。船の汽笛がなりそうな、そんな横須賀港を後にした、2月終わり、基地の街の夕刻だった。どこかから、浅川マキの『かもめ』が聞こえて来るような気がした。
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