Vol.9 知らない街角 [2003.6.25]
 こちらは雨音のまだない、今宵。ひそやかな夜景をただ独り見ながら過ごす米沢の夜も、もうすぐ3ヵ月が過ぎようとしています。今日は螢を見に同僚が連れて行ってくれました。こんなひそやかな幸せにつつまれる今日この頃、いろんなことを思い出します。はじめてNYに行った時のことを書いてみました。

ドアマン
 1995年の夏のこと。1ドル89円の時代。念願かなってはじめてのニューヨークにひとり旅。 その夏のニューヨークは猛暑。現地では新聞のトップ記事になるほどで、気温は連日40度近くまで上がっていた。うだるような昼さがり。なんとホテルへの帰り道がわからなくなってしまった。幸い通りで初老のホテルドアマンを見つけて声をかけた。彼はちょっと待って、と合図しドアに手をかけ開いた。サッと涼しい風が流れ出て私をつつむ。 ドアマンはにっこりドアの脇に立っている。「ネ、涼しいでしょう?」そう、彼は私のためにドアをあけて中の冷気をサービスしてくれたのだ。素敵。ありがとう。そして道をたずねた。「あ、それならあそこですよ。ほら」なんと2ブロックほど先に私のホテルの看板は見えていた。ドアマンはにっこり私を見送り、ゆっくりとドアをしめ、再び炎天下に立ち続けていた。

タクシーと警官
 34丁目のペンステーションからホテルまでタクシーに乗った。数分たったころ、急にサイレンの音が近付いてきた。運転手は何だか慌てている。間もなくタクシーは止まった。びっくりして「どういうこと?」とたずねると運転手は「申し訳ない、つかまっちゃったからここで降りてくれ。ホテルはすぐそこだ」これは大変と降りるや警官が二人も立っている。「申し訳ない、どこまで?」警官のひとりがすかさず私に言うので少しだけホッとしてホテルの名を言うと「それならすぐそこだから」と指差す。何が起ったのだろう。きつねにつままれたような感じだ。あまり悪そうな運転手でもなかったし、交通違反でもしたのだろうか?きょとんとして私は歩きはじめた。ホテルが近かったからいいようなものの、客を乗せたタクシーにポリス?全くニューヨークでは何が起るかわからない。

エンジ色の少年
 ブルックリンに住む友人と、その中古の愛車に乗って街へ出た。アトランティックアヴェニューを超え少ししたころだったと思う。一人の黒人の少年がエンジ色のスーツにネクタイまでして道に立っている。胸のところには募金をつのるカード。きちんと見えたスーツはよく見ると冬物で彼にはきゅうくつそうだった。 何か、ものすごくせつない思いが胸に混み上げてくるのを感じた。 14〜5才の正直そうな目をした礼儀正しい男の子。 私の友達は車の窓から寄付をした。そして、「こんなに暑い日に、あんなにきちんと着込んで、あれは最高の敬意を払っているんだよ」

 人種のるつぼの中で生まれてくる、さまざまなこと。私は当惑していた。同時に自分はここニューヨークで育った人間ではない、と気付かされるのだった。何かが決定的に違う。となりあわせの感触が。そしてなぜだろう。自分が寄付をするという行為は思い上がっているような気がして、できなかった。さっきの少年のたたずまいが眼の奥に焼き付いていた。

ストリートライフ 
 ブルックリンの人ごみを歩いていた。さすがにブルックリン。いろんな人が行き交う。そして路上にしゃがみこんでいる人もいた。おじいさん。ちょっと緊張して通り過ぎようとすると、「ヘロウウ」
どうしよう。でも気付かないふりをして通り過ぎた。すると背後からつぶやくようなしゃがれ声。「オーケー、グッガール、ヨアライ」(そうさ、君は正しいよ)
私はどんな顔をしていいのかわからなくなった。そして悲しいユーモアみたいなものが私をくすぐった。「元気でね!」本当はそう声をかけたくてたまらなかった。

チップ
 そして昨年2月、まだつめ痕も生々しいニューヨークへ私は出張に来ていた。その最後の夜、地下鉄でソーホーから59thST.までもどると表へ出たがどうも様子が違う。私は西と東の出口をまちがえて反対側に出てしまったのだ。焦る私の前にやっと一台のタクシーが止まった。いそいそと乗り込むと行き先を告げた。「反対側だね。じゃあ、こっちへ行くよ」時間を気にする私に運転手は話しかけてきた。「どこから?日本?」「あたり。よくわかりましたね」彼は私の職業まで言い当てた。陽気なドライバーで話がはずむ中、ほどなくホテルに到着。私は支払いをしながら「あ、そうそう、チップだ、え〜と、ごめんなさいね」すると、「いらないよ」「エッ!?」「うん、大事なんだけど、いらない。今日はネ」
 ドライバーは私の渡した紙幣におつりをくれると、にっこりと夕闇の街角にエンジンを響かせ、消えた。
-END-
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