Vol.7 ある風景 [2003.4.24]
 TVの天気予報を見ていると、九州はもう、夏の気配でしょうか? 実は私は今、東北にいます。狭い日本とは言え、桜前線はここでは遅く、たった今、4月後半にやってきました。東京や九州ではとっくに終わってしまった季節の時間差を感じるのもまた、新鮮なものです。

 仕事の関係で、1年ほど山形県の米沢市に滞在することになった。引っ越してからまだ1ヵ月もたっていない。25年間東京に暮らしたが、引っ越す時は25年前がまるで昨日のことのようで、時とは不思議な感触をもっているものだなあと思った。そして今、慣れないながらも、ここの生活が私にくれるさまざまなものに感動している。

 仕事で目を使う私は家ではほとんどラジオなのだが、東京で慣れ親しんだJ-WAVEというラジオ局も、なんとこのマンションが契約しているケーブルのおかげで見事にクリアな音で聞く事ができる。そして目の前に広がる月山を望める風景。まるで絵に描いたような北日本の風景だ。そんな、雪舟の水墨画のような見事な空間のひろがりと日本情緒を眺めながら、東京からのラジオで「都心に暮らす」とか「NY情報」などのトークを聴いていると、とても得しているような気がしてくる。

 こんな言葉が浮かんで来た。
「住めば都」
「郷に入っては郷に従え」
どこにいてもそれぞれの暮らしがあり、人間はそれを工夫しようとするのかもしれない。でも、ここの風景には何も足してはいけないような、何かがあるように思う。都会には都会の魅力があるように。
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 新しい私の住まいとなったマンションから、歩いて数分のところに最上川が流れている。引っ越してきた日、そこには白く雪がのこり、野鴨が遊んでいた。美術館で見る掛け軸の絵そのものだなあ、と思った。

 別の日、少し山の方へ向かった田んぼの畦道で、一羽の鷺(さぎ)が羽づくろいをしているのを見た。そしてまた、以前バハマのタークスケイコスでペリカンが飛んでいるのを見て感激したように、5Fの自宅の窓から、遠く月山をのぞむ空を鷺が飛んでいるのを見た。鶴より小さいがくちばしが長く、白くほっそりとしている。まるで屏風絵のようだった。きっと、日本でないと描けない風景だろう。東京や熊本の知り合いからの便りでは、もうすっかり桜は散って、初夏の気配が訪れているようだ。それなのに、こちらはまだ、日陰には永い豪雪の名残が…。雪かきのあとに積もった雪がまだ残っている。

 ふと気がつくと、川のほとりに枝ばかりの木が立ち並んでいる。どうやら桜並木。かなり大振りの桜のようだ。ついさっきまで、そこに桜並木があることも気が付かなかった。良く見ると、私の胸から目の高さに一番下の枝がある。そして、見て見て、とでも言うように、しっかりとたくさんのつぼみを付けている。桜のつぼみって大きいんだ!この桜、最上川べりに100mくらいの並木になっている。そのむこうには雪をいただいた山々。こんな風景が日常レベルで目の前に広がっているのが不思議な気がする。ひさしぶりに気持ちがスっとするのを感じる。

 この数週間の環境変化の中で、日本人であるはずの自分なのに、今までなかなかそれを日常の中に求められずに生きていることが多かったことに気づいた。私がこれまでマリコ通信の中で書いてきたのも海外のことが多かった。新鮮だと感じたこと、それは感動になる。それを書いた。でも、今、いろんなところでハッとさせられるような日本を日常レベルで感じると、それはなんと心に響いてくるものなのだろうと思う。「日本」。ひそやかでしみじみとしていながら時々ハッとするほど大胆で粋。そしてまたどの文化もそうなのだが、このうえなく独特。そんなことも又、思い出させられたりした今日この頃であった。

 マンションの窓に夕刻が迫ってきた。ひそやかで繊細な家々のあかりが灯り出し、夜景が輝き始めた。さっきまで、空と山々が広がっていたその空間。そこに人々が住んでいるということを夜になると気付かせてくれるような、そんなやさしい夜景だ。-END-
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