Vol.4 ロンドンプライヴェート旅 [2003.1.22]
寒い日が続いています。先月、ロンドンの友人が東京に来ました。私の、数少ないけれど大切な友人のひとりです。その彼女のことをお話しようと思います。

 1998年の夏、ロンドンに旅した。その年の5月ごろ、ロンドンのテキスタイルデザイナーと仕事で知り合い友達になった。ある日、私の勤める会社にエージェントといっしょに彼女はやってきた。ふつうそういう場合、私は特に個人的に話をしたことはなかったが、その日はエージェント先の女性が私に話しかけるようにうながした。「彼女、もうすぐこの仕事をやめちゃうそうなんですよ、28年もやってきたのに。疲れたんですって」と。

 私は彼女の目に好意を持ったし、前日にヨーロッパの出張から帰ってきた同僚が「ロンドンおもしろかったよ」と私に言ったのも思い出して、話し掛けた。すると、どうだろう、初対面だというのに話しは流れるようにはずんだ。そして彼女は言った。「今度ロンドンに来る時にはうちに泊まりなさいよ。でも、秋以降、冬のロンドンはとてもさびしいから夏の方がいいわ」

 そして、その夏、私はロンドンを訪れた。しかしさすがに私は、いきなり宿泊を甘えるのは失礼な気がしたので、自分でホテルを取って行った。しかし、空港まで彼女は親切にも迎えに来てくれて、私のホテルまで案内すると、がくぜんとする私にホラネ、と視線を送った。それは1泊1万5千円はするホテルなのに、カビくさいバスタブもないホテルだった。「ロンドンのホテルはこんなものよ。だから、うちに来なさいよ」

 以前何度か出張で泊まったホテルは全く申し分なく、私はそのつもりで1万5千円ならビジネスホテルという感じかな、なんて思っていたのだった。ところがドッコイ、質素どころではなく、きたないのだ。私は彼女の好意に甘えることに決めた。「本当にありがとう。でも1泊だけはここに泊まって観光をするわ」彼女はOKと言うと「ゆっくり荷物をほどきなさいよ、その間私はフロントに1泊だけにした、と言っておくわ」私がフロントに降りて行くと、彼女はさっぱりした顔で「言っといたわよ。ノープロブレム」

 その後彼女の家でランチをごちそうになった。御主人は元俳優。あの、スティーブマックイーンの大脱走に出ている。家系は3代俳優というが、元俳優というにはあまりに自然すぎるほど自然なかわいらしい 初老のおじいちゃんだった。

 ランチは庭で楽しんだ。8月でいろいろなお花が咲いて、まさにイングリッシュガーデン。蚊はいない。大形犬のメイとネコのトミーも気持ちよさそうにひなたぼっこしている。食事は彼がその後もずっと担当してくれた。必ず手製のデザート付のフルコースのおいしい素敵なロンドンの家庭料理だった。私がマリコだからといって、焼いてくれたチキンパイのパイ皮にはしっかり、Mの文字付。食事のたびに量や何を多めにしてほしいのか、必ず聞いてくれていた。いつも最高においしかった。
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 ヴィクトリア&アルバート博物館。欲張ってくまなく歩き、とほうもなく疲れてしまった。石のヨーロッパ文化をたどっていくと日本人の私には重すぎて最後にはおしつぶされそうなめまいがする。見つけたひょろりとした黒人のおじいさんの係員に聞いた。

「広すぎてとほうにくれています。何か面白いブースを紹介して下さい」「宝石のところはいかがですか?きっと気に入ると思いますよ」小さなブース、キラキラと光る宝石。素直にきれいだと思えた。となりの靴のブースも楽しめた。

 中庭でジュースを売っている女の子。私が飲みたかったジュースがないからといって、飲んだジュースをただにしてくれた。スペインから美術の勉強をしに来ていると言っていたので、おもしろそうなイヴェントを訪ねると2〜3教えてくれて、地図までかいてくれた。

 コンラン卿がオープンしたデザインミュージアムを訪れ、椅子のデザインなどを堪能し、ブループリントカフェに座る。もしかして、今の日本のカフェはほとんどがこのスタイルなのかなあ。

 ポートベローの骨董街でキルトのスカートをはいて革ジャンを着た男の子を見かけた。ちょっとやりすぎかな、とも思ったけれど印象的だった。すれちがった2〜3人のヒップホップ少年が「時代がかりすぎだゼ!」とはやしたてていた。帰ってこの話をすると、彼女はこんな話をしてくれた。「イギリス人は基本的に質実剛健なところがあって毛玉が出ようが、それを着るって感じがあるのよ。ラテン系のミラノやパリの人は自分を着飾るのにお金をかけようとするけどね。それにロンドンは寒いから、ズボンの上にスカートはいたり着古してフェルト状になったようなジャケットを重ね着したりしたのよ。それを他の国の人がロンドンファッションって言いはじめたみたいなところがあるわね。だから、いわゆるおしゃれって感じからは違うところにルーツがあるんだと思うわ」

 プロムナードというクラシックのコンサートに連れていってくれた。レンガ色のアルバートホール。欧米の文化は時に日本より、ことわりがあることもあるので、着て行くものをたずねると、「なんでもOKよ。バックパッカーだって来てるわよ」私は安心して普段着で行くことにした。コンサートの雰囲気が素晴らしかったのは文字どおり、でも私が一番驚いたのは、このクラシックコンサートにはステージ前に”アリーナ”があって、そこで人々はまるでレゲエのコンサートのように、ひざをかかえたり、寝そべったり大変にリラックスして聴いている。私はいまだかつてクラシックコンサートでこんなのは見た事がない。彼女に聞くと「そうなのよ」とほほえんでいた。合間にロビーで赤ワインを飲んだ。

 ヴァージニアウルフのロンドン郊外のモンクス ハウスに連れて行ってもらった。家のつくりやデザインも興味深いものだったが、そこの庭にさいている数々の不思議な植物に私は目を奪われた。きのこのような不思議なオレンジ色の花。なんとも美しいコバルトブルーのまぶしいような小花。曲線が私が知っているのと違うユリ。その他さまざまに見た事のない形と色。今にも妖精が出てきそうだ。マザーグースの摩訶不思議さも、この自然から生まれたんだな、と思う。

 クラッパムコモンという地区が彼女夫妻の住んでいる地区。あの、夏目漱石も住んでいたところだ。そこから20分くらい歩くとブリクストンという移民、特に黒人居住区がある。迷いこみさえしなければ全く安全だ、というので行ってみた。入り口にはボディーショップがあった。そのボディーショップの角にジャマイカ風の店があったので、ちょっと立ち止まった。すると後ろから「ハイ」と低い声。ふりむくとドレッドヘアを大きな帽子の中に入れたやせて背の高いラスタマンがいた。彼がラスタに興味があるのか、と聞いてきた。「いえ、特には」少し間をおいて彼は私にさらに話しかける。

 「いい?ラスタマンには3つの大事なことがあるんだ。それはウィズダム(叡智)ナレッジ(知識)そしてオーバースタンディング(理解)。僕らはアンダースタンディングじゃなくてオーバースタンディングっていうのさ」と教えてくれた。徹底してネガティヴな単語を使わないらしい。彼はその店の人ではなかった。私は結局何も買わなかったけど、ラスタマンは「アンティル ウイ リンク」(又、巡り会う時まで)と言ってこぶしを私の方に差し出すあいさつをくれて別れた。不思議な一瞬だった。

 彼女とパブでギネスを飲んだ。格別だった。女同士でパブはお堅いイギリスではどうなのかな、時々、ヨーロッパではそんなことも気になる。実は日本より格式とか区別があるから。でも、いい。彼女といっしょだもの。

 帰る日、御主人のボビーさんがキッチンでなにやら作っている。私の飛行機でのランチだというのだ。機内食では栄養が悪いから、といってサラダを作ってくれていた。あいかわらず、卵はどうするのが好きか聞いてくれた。そして、お弁当のパックの上には”MARIKO”と書いてある。もう、何も言えなくなった。

 ヒースロー空港ではちょっぴりセンチになった。1週間は独特の色合いを帯びていた。なんとも味わい深い、落ち着いた色合いだった。

 ボビーさんが亡くなってから5ヵ月になる。 私にランチまで作ってくれた彼は悲しい事に2002年8月に亡くなってしまった。彼女は今、母校の美術大学で悲しみを振り切るようにアートを教えている。 END
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