Vol.3 東京、とある場所 [2002.12.28]
 東京は初雪も降った2002年の12月。イルミネーションが最近は住宅地にまで見られ、年末のあわただしさを楽しもうという人々の気持ちがうれしいものです。でも、街行く人の顔はみんなとても忙しそう。私もなんだかそわそわしてしまいます。そんなある日の私の小さな驚きをお話します。


 この不況の続く中、それでも、街は、刻々と変化しているものだ。12月のある日、私は虎の門から神谷町を抜け、六本木まで歩き、それから地下鉄に乗って家路についた。しばらく歩かなかった、とある場所のあまりの変貌に歩かずにはいられなかったのだ。

 虎の門はオフィス街、官庁街の霞ヶ関の隣に位置している。そしてほどない神谷町にはホテルオークラやIBM、アメリカ大使館などがある。そして六本木は言わずと知れた歓楽街。しかし、神谷町から六本木の間は閑静な住宅街でもある。

 私は10年ほど前に、このあたりのスタジオにダンスレッスンに通っていた。8年間くらい通ったが、とても素敵なダンススタジオだった。閑静な住宅地の中に突然地下に通じるツタの葉のからむ半地下の階段があって、その中にバレエやジャズダンスにはげむ若者達がいた。ヒップホップの流行はまだはじまったばかりで、コーラスラインやフェイムの世界だった。もっとも、私はプロを目指していたわけではなかったけれど、アフターファイヴに駆け込んで、なぜか仕事よりも無心に打ち込んでいた気がする。

 ある日そのレッスン場がクローズして移転するという話が出てしまった。都市開発で、地下鉄の駅ができるから、と聞いていた。南北線や都営大江戸線だった。それといっしょにジャズの先生が日本を離れ、故郷にもどるという話も重なり、私達はとてもさびしかった。
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 それから4〜5年が過ぎ、その間そのあたりを歩いたのは3年前、工事中に一度きりだったような気がする。そして今、驚きながら歩いていた。特にあのレッスン場のあたり。私はそこと気が付かなかった。

 まず、虎の門から神谷町のホテルオークラまで歩いた。オークラのこのあたりは石のように堅い感じもするけれど歩くたびに、なんだか深呼吸をしたい気にもさせる。閑静な道はビシッとしていて、街路樹も夏はすずしげに、冬は物言いげに黄色い枯葉をちらす。その脇にアメリカ大使館やスエーデン大使館などがすましている。もう15年ほど前になるだろうか、広場型の小都市の先駆けとして、全日空ホテルやサントリーホールのあるアークヒルズが出来たことでなおさら独特の雰囲気ができたのかも、と思うが、このあたりは昔からなんとなく違う。基本的にお店があるわけではないので、人通りは少ない。よく犬を散歩させる外国人とすれ違う。昔とその空気はほとんど変わっていなかった。

 アークヒルズに立ち寄ってみた。しかし、裏通りのこの階段から入るといつもこの小道には誰もいないなあ、と思う。カラヤン広場に降りていくといろんな国籍の人が点々と行き交っている。タワーにたくさんのオフィスがあるからだろう。カフェオーバカナルでちょっと休憩してみた。ほの暗い店内は落ち着いていて外の広場ではあかりが華やかなイルミネーションで年末を演出している。広場のむこうにサントリーホールがある。いましがたこの広場で結婚式の撮影をしていたホヤホヤのカップルがもう、普段着に着替えてふたりでスナップ写真を撮りあっている。とても幸せそうだ。 乳母車の赤ちゃんをつれた女性同士がお話をしている。

 一息いれた後、そこから、六本木まで歩いてみようと思った。表通りは首都高が頭の上を走り、下の広い道路は開発がはじまるころからいつも工事中でなんだかガソリン臭いし、ただ、坂のはげしいつまらない道なので裏道を歩いてみようと思った。すると、突然知らないガーデンタワーが現れた。見た事がない。最近は都市再開発によって、なんとかガーデンとかなんとかヒルズと呼ばれるオフィスとタワーマンションやちょっとしたカフェやフィットネスクラブなどがいっしょになった広場型の小都市がいろいろな場所に現れている。私にはこれが、小さいころに思い描いた未来都市に見える。

 さて、六本木のここでは、すこし向こうに見えるフィットネスクラブでいろんな人が汗をながしている。パティオのある下の階にあたたかな明かりがみえたので行ってみるとそれはパン屋。知っているパン屋より全体に色がブラウン系に仕上がったパンが、表面の白いコナとカリっとおいしそうなコントラスト。お菓子もなんだか色合いやテリがシャレている。

 広場にあるガイド柱には住居棟という表示もある。出来たてらしいオフィス棟タワービルには、まだテナントが3分の1ぐらいしか表示されていない。エレベーターをみつけ、背後のガラス越しに人の気配を感じ、ふり向くと、そこには南北線の駅の入り口が広々とあかるく、人々が行き交っていた。エレベーターにはなぜか誰も乗っていない。静まり返ったロビーでエレベーターのボタンにタッチする。広々としたロビーにはガードマンが立っている。スケルトンのエレベーターがスッとあらわれた。ガードマンに止められる様子もなかったので乗り込む。乗り込むと日本語と英語で機械的な案内の声がして入り口が締まる。四方はガラス張り。エレベーターのリフトもむきだし。目の前に広がる夜景の中、私の乗ったエレベーターとすれちがいに目の前を誰も乗っていない別のガラスの箱がヒューッとなめらかに降りて行く。映画ブレードランナーを思い出す。最上階の24階のボタンを押した。そして私はこの素晴らしいエレベーターにたったひとり、ぐんぐん上がっていく。このあたりからの六本木の夜景ははじめてだ。なんだか、このまま空に飛び出して行くような気がした。

 スケルトンのエレベーターで降りる時は死んでしまいそうな感覚で、ひとりガラスの箱の中で叫んでしまった。1Fの広場までもどる。住居棟まで階段を歩いてみると、しっかりセキュリティーのほどこされた向こう側に高級車がズラリとならんでいた。きっと、ここには信じられないようなお金持ちがたくさんいて、別世界があるのだろう、とそのタワーを見上げた。私には現実感もないし、ため息は出ても、そうなりたいとは思えなかった。

 ガーデンを出て道なりに歩いていく。ピカピカの高級マンションがいくつもある。ほどなくT字路に出たが、これは設計ミスだ。こちらから歩いてくると、向こうの歩道のガードに切れ目がなく歩道も途切れている。渡るのは3mくらい先だ。ちょっとあきれる。

 渡って少し行くと、いきなりタイムトリップしてしまった。こんな道には全く想像できない、八百屋さんが屋台を出している。しかし、私はすぐに思い出した。ダンスレッスンに通っていたころ、やっぱりこんな八百屋さんがアパートの前にいて、そこでダンスの先生が帰りによく野菜を買っていたなあ、と。でもあの道はどこだっけ?この近くだったけど、と思いながら10歩くらい歩いて驚いた。私の見慣れた、変わらぬ、開発にとりのこされた十字路が目の前に現れたのだった。「えっ!?」デジャブをおこしたかのような気持ちになって驚いてあたりを見回した。「間違いない。あそこだ。ダンス場のあの通りだ!」右にふりかえると、間違いなく、レッスン場がクローズするころに出来たホテルと郵便局があって、その向こうに、ブラックホールのようにまだ工事中の、あとかたもないが、昔のレッスン場があった場所がたたずんでいた。そして、この変化の中、あの八百屋さんはずっとここで屋台を出している、ということなのだった。

 私はなんだか、不思議な気持ちになってそのあとに続く見慣れた道をたどった。ここから飯倉交差点までは小学校もそのまま、昔ピザ屋があったところが大げさな名前のマンションに変わっていた他はほとんどもとのままだった。 私の小さな旅はここで終わり。

 交差点を右にまがると猥雑な六本木にネオンが前よりも下品に光っているように見えた。そこからは足早に通り抜け、ゴミゴミとした駅前に出ると、地下鉄にもぐった。
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 六本木は部分的にまだまだ開発が進んでいる。きっとこれから5〜6年は再開発されない部分とされた部分のおりあいがはじめ居心地悪く、でも傷跡が修復されるように時間をかけて慣らされていくことだろう。どちらがどう馴染んでいくのか見てみたい、私はふと、そう思った。未来都市はどう変わっていくのだろうか、と。
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