Vol.2 the Blues [2002.11.26]
 昨日はひさびさにソウルトレインのVIDEOを取り出して見た。1975年収録のもの。大きなアフロヘアーがたくさん、シンガーの唄うステージの下の方で踊っている。ファッションや表情がなんだか、今とちょっと違う。見ていたらプっと吹き出してしまいました。「時代だなあ」、と思って。さて、今回はそんな黒人音楽について、ちょっと考えてみたのですが、、、。

 私は黒人音楽が好きだ。ある日、その呼び名についてふと小さな疑問が浮かんだ。きっかけは、R&B(リズム アンド ブルース)という呼び名。以前R&Bというと、BBキングや、アルバート キングなどの「ブルース」コードのものに対して使われていた気がする。でも、今は、おそらく黒人系のダンスミュージック全体、もしくはブラックミュージックの比較的ポピュラーなものを総じてR&Bと呼んでいるようだ。そして誰もがこれこそがR&Bだ、というには難しいほど、今はいろんな「音」が登場している。1980年代、日本独特の「ブラコン」、という呼び名があった。「ディスコ」のように、今は死語だけど、ブラック コンテンポラリーの略で、例えばクインシージョーンズのプロデュースする黒人系の音楽。当時の私は、その音楽に、独特のノリとカッコよさを感じて、ワクワクして聴いた覚えがある。ブラックミュージック「通」という人達の中には、こんなの媚びてて嫌いだ!という人もいた。そんなことを考えていたら、いろんな呼び名が思い浮かんできた。

 ブラックミュージック、ブルース、ソウル、ファンク、ゴスペル、R&B、ヒップホップ、ジャンプ、ジャイヴ、ジャングル、ジャズ、アシッドジャズ、例のブラコンetc., etc......この呼び名についてNYの友人に、これはNYでもそう呼ばれているのか、そしてひとつひとつはどんな特徴を持っているのか聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。

 「これらはみんな、"The Work Songs of Slavery"(奴隷の労働歌)からうまれた"the Blues"の子供たち、だよ。そして、世界中でいろんな呼ばれ方をしているよ」と。そして又、「呼び名」というのは誰が誰に話すかによって変わってくるし、どれが正解なんてないよ、と。
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 The Work Songs of Slavery(奴隷の労働歌)、これがすなわち、ルーツというわけだ。そしてロバート ジョンソンなどに代表される"the Blues"はそのまた子供というわけだ。では"the Blues"とは一体何だろう?Bluesという単語は日本語にはとても訳しにくい。まず、辞書をひいてみた。でも、Bluesという単語はない。そして、Blueからひけ、とある。すると.....。
 
 Blue:青い。見込みのない。気をめいらせるような。南北戦争の北軍の制服の色。 a blue funk:米俗:どうにもならない恐怖。そして、あった。しばしばtheをつけて〜s(単数扱い)<楽>ブルース。

 なんともジワジワと感じるしかできない。しかも、辞書は白人の観点から書かれている気もする。ただ、私には感じるだけでしかわからないが、あの奴隷制度というものを通じて生まれた黒人の労働歌がルーツにあるということ。彼らはこころを歌にした。それが又、いろいろなかたちで発展している、ということ。なんだか、とても、深いところに来てしまった感じだ。

 はじめにひっかかっていた「R&B」については、要はその"the blues"の音楽の子供のひとりとしての呼び名、というわけだ。それが今では大きく広がりをみせている、ということのようだ。

 又、ソウルミュージックをアメリカではソウル ブラック ミュジックというようにそんなことを言っていたら、それは世界中で微妙に違う。そしてその正しい答えなんてないのである。呼び名というのは単にある地域の人たちが自分達にわかりやすいようにつけているにすぎず、世界中で、いろんな言い方をされているというわけだ。

 音楽も子供が生まれて育つように、いろんなことがミックスして出来ていく。それらは、一定の期間を持って他の地域に飛び火すらもする。例えば「ジャングル」というスタイル。ブラックミュージックのひとつで、はじめイギリスで生まれたらしい。そのスタイルはファンクとロックがミックスしている。そして、それが育ったのはアメリカ。私は、本当に思った。音楽は全く文化そのものなんだ。と。時代によっていろいろなことが変わっていくように、音楽も刻々と変わる。けれど、そこにはそれぞれ、そのことを生み出した背景や歴史というようなことがちゃんとあるのだということ。
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 作家の村上龍さんが、ある、ラテンのCDの解説でこんな風なことを言っていた。「僕は能や狂言を勉強する外国人が嫌いだ。何でもかんでもわかり合えばいいというものでもない。」と。最初、乱暴に聞こえたが、私はこの意見に賛成している。あこがれと本質は違う。脈々とつちかわれてきたもの、というものがある。それは、「わかる」なんてものではない。
 
 しかし、せめて自分が素敵だ、と感じたものを大切にするのはいい、と思う。そういったことは愛情だと思うから。本家にはかなわなくても、そこから、又、何かがうまれることもあると思うから。
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