中川 貴 様からのメッセージご紹介

 an弾手さんから、特別企画に参加するようお誘いがありました。昨年一年間、色々教えて頂いたり、励まして頂いたり、時には愚痴っぽい話にお付き合いを願ったりして、散々ご厄介をお掛けしたのですから、こんな時に協力申し上げなければ「男がすたる」と、一寸粋がってみたものの、ですが-----。
 さて、何を書こうかなあ???いえ、迷っているのではないのです、探しているのです。本当に、書くことが何も見つからないのです。そういえば尋常小学校(古い!)の時の綴方の時間は、本当に嫌いでした。何も書くことが無いのです。先生に「身の回りにあったこと、感じたことをそのまま書けば良いのだ」と脅迫(?)されたことを思い出します。そしてan弾手さんも同じ事をいわれるだろうなあ、と思わず笑ってしまいました。
「あったこと、感じたことそのまま」と言っても、「ああ、今日もダメか」、「昨日もダメだったなあ」、「きっと明日もダメだろう」、こんなことズラズラ並べたって何の意味もありませんよね。有るとすれば地球の環境破壊に手をかす事くらいです。でも毎日こうなんですよ。じゃあピアノやめるか、それが出来ないんです未練たらっしく。
 で、殆ど(これが曲者)毎日ピアノに触っています。家族はさぞ迷惑なことでしょうが、幸い我が家には未だ騒音防止条例がありません。「ピアノ始めたよ」と知人に話をすると、10人のうち8人までが「いい事だね、年寄りが指を動かすと、ボケ防止になるんですって」だって。冗談じゃないよ、私としては、ボケ防止指先運動のためにピアノ始めたのじゃあない、名曲を自分の手で弾くためにやり始めたんです、と内心腹をたてて見たものの、結果は騒々しい指先運動になってしまいつつあります。
悲しいことに名曲は自分では弾けないことを、自覚させられました。もう私どもの歳になりますと、譜面が覚えられません。難しい曲でなく、本当に簡単な曲でもダメです。認知症というのは、昔のことは覚えていても、現在のことが覚えられないのだそうですが、将にそれですよ。昨日出来たことが今日出来ない、いや、さっきやったことがもう出来ない。数小節の音符を、本当に何百編繰りかへし練習しても間違えるのです。もう、名曲を楽しむどころか、毎日ストレスを溜め込んでいるのです。プロじゃあるまいし、たかだか時間つぶしに始めたピアノで、どうしてこんなに苦労をしなければならないのか、といつも愚痴っています。
 そもそも私がピアノを始めたきっかけは、それに何かの夢を託したのでもなければ、期待したのでもありません。数年前、たまたま家に思いがけないピアノが舞い込んだことにあります。知人が、都合で家において置けないし、といって高価なものだから処分するのも勿体無いし、ということで預かることになりました。私にとっては、超大型ゴミ以外のなにものでもありません。仕方なく居住空間を削って居候させていたんですが、段々目障りになってきて、「コラ、オマヘ、少しは働いたらどうだ」と言うことになりました。要するに、私の物好きがピアノにチョッカイを出し始めたのです。
 ところが、このピアノという代物、トランペットやサックスと違って、誰が触れてもそれなりの音が出ます。小学校で覚えた(70年前なのに覚えている!)ドドドレ〜ミレ、ミミファソ〜。曲になるではありませんか。「こりゃあいけるゾ。少し先生について習ったら、”エリ−ゼのために”くらい弾けるかも」「先生はアイツに頼もう」「そうだ、早ければ早いほどよい」
 これが大変な落とし穴だったのでした。何しろ鍵盤は88も有りますし、指は10本しかありません、しかも、10本のうち6本位は大変仲がよくて、常に一緒に行動します。歌は吐く息の強さで出す音の加減が出来ますが、ピアノではそれぞれの指による押さえ方の強さの加減が求められます。そんな事今までの生活ではした事がありません。「流れるような旋律」など望むべくもなく、ピョコタンピョコタンそれぞれの音が勝手に踊ります。それに、沢山のオタマジャクシが五線上をチョロチョロ泳ぎ回って、とても捕らえられません。
 かくして数年、この間、先生のご好意で発表会に二回出して頂きました。勿論正規のメンバ−ではなく番外としてです。結果ですか?まともに終わりまで行ったことはありません。切れて、止まって、弾きなおして、また止まって、シラ−ッとして、先生が譜面をもって来て下さっても、今何処を弾いているのかさえもわからず、抜け道を通ってやっと終着駅にたどり着いたような次第です、二回とも。こんな事の繰り返しですから、「もうやめようか、先は見えてるんじゃないか。後何年弾けると思ってるんだ」と本気で考え始めました。
 先生にも相談したりしてたんですが、こんな時にan弾手さんの事を知り、本を読んだりHPを読まして頂きました。救いの神でした。跳び付きましたよコ−ド奏法に。全くの初歩から教えていただき、励まして頂いて、この一年間何とか続けることができました。音楽は楽しむ為にある(弾く)という原点に戻りやすくなりましたし、アレンジする楽しみ(こんな事云える立場かよ。10年早いんだよ)もチョット ばかりだけれど知りました。気持ちの上で、或いは心構えの上で、時によってUP,DOWNはありましたが、持ちこたえる事ができました。
 でも、問題が解決したわけではありません。難しいかなと思った曲は、自分なりにアレンジして、簡略化し、パタ−ン化しても、やはり弾き間違えるのです。結局は曲の難易の問題ではなくて、私自身の能力=「認知症」(まさに文字通り)の問題に帰着するようです。どうも発想を変えなければいけないように思えます。何をどう変えるのか、今の所見当が付きませんが、少なくとも間違いなく弾くことを最高の目的とすることは、変えなければならないでしょう(勿論、これは私一人に限つての所論です)。
とは言え、上手に弾きたいと言う気持ちは、常に頭を擡げてきますので、これとの葛藤はこれからも続くことになりそうです。兎に角、ボヤキながらも皆さんの後について参りますので、宜しくお願いいたします。
 個人事で、而も、下らないことばかり並べましたが、どうぞお許しください。

中川 貴(80歳 男 年金生活者 大阪)