未だ、全然知らないことばかり。
小さい頃のこだわりも、今も全くカタチをかえておらず。それが良くもあり、悪くもあり。
つい最近まで会社というのは、もうかったお金を銀行にためていて、そこから全部やりくりしていると思っていた。皆さんは、とうの昔に知っていることだろうが、そう、違うのだ。
ほとんどの会社は銀行と深く関わっていて、銀行は会社に貸付を行っている。そして、お金と経営にまつわるいろんな取り決めがあって、例えば為替差益や貸付の利子などもろもろのことが会社の経営戦術と関わりながら、経営や経済というものが成り立っているらしい。
しかし、そもそも、私にとってお金を借りるなんていうことはとても恐ろしいことで、私自身は完全無借金経営で生きている。そのくらいこじんまりとってこと。小さい頃に読んだ、『イワンの馬鹿』の『人はどれほどの土地がいるか』(トルストイ)をバイブルに、人間、自分の足元のサイズだけが本当に必要なものと言い聞かせて。
…っていうのはきれい事で、お金というものにうとく、戦術なんてことを考えたこともなく生きているのだった。
確かあれは二桁の歳になった10歳だったと思う。小学校にあがった6歳だとちょっと早すぎるような気がする。よく覚えていないが、とにかくちいさなころ。母が貯金というものを教えてくれて、いっしょに郵便局に行って、はじめて私の貯金通帳を作った。たった50円くらいを元本にしたと思う。時代が違うので、その50円は今の50円より少しだけ価値がある。
郵便局の人が笑顔で通帳を渡してくれ、母が、これからおこづかいがあまったら、ここにためなさいといったように思う。幼い私への大人の郵便局の人の笑顔には、ちっちゃな子が一人前に通帳を持ったことに対する社会的な愛みたいなものがあったのではないだろうか。
さて、それから、しばらくしてお年玉をもらった。そのころあったこんなお札。それは、ものすごくきれいな百円札だった。私はこんなきれいなピカピカの折じわも無いその『お札』に、とても感動した。
そして、笑顔で「貯金ね」という母の言葉にこんな質問をした。
「これ、貯金したら、ずっと『コレ(このお札)』を私のだって、とっておいてくれるの?」
母の答えからどうやら違うということがわかって、私は泣いた。
私にとっては、お金の価値じゃなくて、この『美しい紙』がとても大事だった。
これがまたしわくちゃのものになってくるのだったら、絶対に貯金なんかしない、心からそう思った。
母は、なんとなくわかってくれたらしく、困ったような笑顔で言った。
「ごめんね、それが大切なのはわかるけどね…」
私はそれを大事にひきだしにしまっていた。そのピシッとした美しさが好きだった。そして、絶対にこれは貯金しないと確認した。
けれど、いつしかもう少しお金や貯金ということが普通にわかったころ、私はそれを貯金した。
そのときに私はいろんな意味で何かを失ってしまったのかもしれない。
ばかと言われるかもしれないが、私は泣いた自分もやっぱり好きだ。
これがもしかしたらいけないのかもしれなくても。
人にはそれぞれにこだわりがある。
それを客観的に見てみると、本質が隠れているのかもしれない。でも、どう生きるかとか、その後のことも、この本質だってわからずじまいで、きっと生きているに違いない。そして、それもいいのかもしれない。いや…。
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