Vol.89 はじめての雪の翌朝 [2010.2.4]

 もう2月。節分の時。
この時分、きっと身体も冷え切って、疲れがたまり、たんぱく質の大豆をとるべき、と昔の人は考えたに違いない。『恵方巻』だって、めざしを食べる事だって、同じく「栄養を取りましょう」というのではないだろうか。

 そんな2月に入ったばかりの朝、東京では「はじめての雪」が降った。
雪は夕方から真夜中まで降り、晴れた朝、雪は危険なシャーベット状になっていた。
「ゆとりを持ってお出かけください」
天気予報の言うとおり、私はいつもより15分くらい早く朝7時半に家を出た。歩くつもりだったが、早々と出勤した人たちの自転車や足跡で雪が溶け、道の中に2つ細い平均台のような『道』が出来ていた。なので、いつものとおり自転車に乗って、ゆっくりと駅へ行くことにした。
 アパートの外階段には危ない雪が積もっていた。手すりにつかまりながら、靴でどうにか雪を蹴落としながら降りた。「そうだった。後が危ないかも」そんなこと考えながらしばらく行くと、いつもの八百屋のおじさんがしっかり雪かきをしている。そう、これが本当に大事なのだ。こんな雪は放っておくと、アイスバンになってしまう。
たいてい『雪かき』は年配の方がやっている。大体の人は皆、出勤しなくちゃならないからな…。
「おじさん、おはようございま〜す」
「おう、気をつけてな」

 駅に着くといつもより人が少なく「これは良かった」と乗り込み、2,3駅過ぎると、聞いたことのない嫌な感じのサイレン音がして地下鉄が止まった。
 最近地下鉄は、ホームにもドアがついて、乗降が終わり電車のドアが閉まると同時に、この『ホームのドア』も閉まる設備が増えた。事故を防止するため。それと共に『ワンマン運転』というのもはじまった。電車に車掌が乗っておらず、ほとんどの電車はどうやら運転手だけでドアの開閉め、アナウンスなども行っている。かねてから私は、これにちょっと危なっかしいものを感じている。お台場のゆりかもめは無人運転なので、まあ、ワンマン運転でも可能なのだろうけど…。
 ともかく、今日はその『ホームドア』が丸の内線の真ん中あたりの赤坂見附で故障してしまった。たったそれだけなのに、丸の内線は全線がストップし、しかも、1時間半以上も動かなくなった。
乗り継ぎ可能な駅なら、紋切り型に無駄な情報を乗客に与え続ける駅のアナウンスに従って「バスやJRへの振り替え」をするのだが、止まった駅は乗り換えのない路線で、JRの駅も近くにはない。振り替えをしてくれというバスだって、自分の会社があるところへは運行していないし、もちろん会社まで歩けるはずはない。そんな一番やっかいなところで立ち往生してしまった。
 とたんに皆が携帯を取り出して電話やメールを打ち始める。いろんな事情があるだろうが、前日は雪だったし、『超重要なこと』は回避している人も多いはずかも。申し訳ないが、私はなんとなく、この、皆が一斉に「もうしわけありません」と言い始めるこの感じが嫌いである。人が、ではなく、その周辺の事情が。
 それでも、会社への連絡は大事なので、私は定時に着かないとわかった時点でメールを入れた。そして、しかたがないので、ただ、待つことにした。そうしていつもは20分程度で到着する新宿についたのが10時前。家を出てから2時間以上たっていた。新宿で都営線に乗り換えて、いつもの駅についたのが10時半。
やれやれと電車を降りる私の目の前にバラバラと本が飛んできた。一瞬何が起こったかわからない。続いて男の人が2人、つかみかかって絡み合いながら電車から飛び出してきた。
 何があったかわからないが、二人は恐ろしく殺気立っていた。しかも、ホームには電車がまだ乗降を待って、今にも動き出しそうだ。危ない。こんな時、ホームに駅員がいてくれれば、きっと電車の出発を遅らせるか、何か指示をするだろう。ところが誰もいない。そして、けんかの周辺にはびっくりした人たちが遠巻きにしている。そして他の人は恐ろしいことに、見て見ぬふり。そのまま、歩調も変えずに歩いている。皆、電車が遅れたことにも疲れていたのかもしれないが、この感じは一体何だろうと、とても嫌な気分がした。
 駅員を探したが誰もいない。そして、非常ベルも近くにない。改札は2階。そしてそこへ上る階段はかなた。こんな時、最悪の構造。
 駅員やベルを探しながら階段へ向かうと、目の前でひとり若い女性が走り始めていた。背後のいざこざの近くでは、女性がひとり「誰か呼んでください!」と叫び始めた。階段はそれを振り返ることもなく、いつもと同じ歩調で上がる人で混雑している。やっとそこにたどりつき、どうにか人の少ないところをくぐって2階の改札へ上がった。どうやら、改札でもこの事態を告げて出た人は誰もいないらしく、窓口では駅員が普通に対応していた。それを見て最後にまたショックを味わった。
 やっと、さっき私の目の前で走り始めていた女性が窓口の人の頭越しに、何かを言おうとしているが、窓口にいる人を越えて言い出せない様子。到着した私は『すごいけんかしてる人がいる』と告げた。さっきの女性が私を見てうなづいた。このいざこざの中たったひとつ気持ちの通う場面だった。それにどうしたんだ、男ども!
 ただ、悲しかった。誤解してほしくないが、これが都会(東京)だなんて言うつもりは毛頭ない。『江戸っ子』は、こんなんじゃないし。悲しいけれど、都会に集まりただ『集団』と化した者たちが、礼儀や人情をなくし、こんな時見て見ぬふりをする。自分のことだけで精一杯。やさしさも忘れて。
 車中アナウンスには何と「マナーについて」まである。でも、それは一体何なのだろう?

 天候に異変があった次の日に、私は中学で習った枕草子の『野分のまたの日こそ(台風の翌朝)』が『いとをかし』というのを思い出す。『めちゃくちゃにもまた趣がある』なんて、全くすごい発想。しかし、今度だけは、ただサイテーの気分を味わった『はじめての雪の翌朝』だった。

 帰りの電車「今朝は大変だったなあ〜」とぼうっと下を向いていたら、女の子の手が空中で私にちょんちょん。見上げると知り合いのカフェの女の子がやさしい笑顔でにこにこしながら立っていた。

 

 

-END-

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