Vol.88 新年の空 [2010.1.12]

 正月はいつものように熊本で実家で、私の生まれた家族、つまり、父と母そして遊びに来る妹の家族と過ごした。時は容赦なく過ぎていくわけだが、家族と過ごせるということは、私にとって本当に幸せな事。感謝だ。
今年は、高校時代の同窓会もあったが、面白いものだなァ、どんなに時が過ぎても友達の顔はすぐにわかる。小学校からいっしょだった友達を「全く変わっていない」と思うのは実はとても不思議なことだ。甥っ子や姪っ子を見ていると赤ちゃんの時からどんどん大きくなっている。私だって少しは変わったところもあるはずなのに。変わらないと言われる喜びと落胆と照れ。自分のことになると微妙だ。

 新しくはじまった大河ドラマ、『龍馬伝』を見ながらお屠蘇をいただいたら、なぜかこれほど正月らしい幸せを感じることはなかった。屠蘇好きの母に勧めててみたら「最高!」と言っていた。なんだろう、正月に第一回目を見るからか、龍馬という人をイメージしながら見るからか、いや、家族と団欒しながらだからか、あの頃の日本の感じを映像で見ながらの屠蘇がめっぽうしっくりくるのだった。父も珍しく若い俳優陣を気に入り、楽しんでいる。空気が心地良く流れていた。

 また東京に戻る日。
『家族』に幸せに見送られ、搭乗。私は東京に戻る時は、できるだけ窓側をとるようにしている。そうすると、手を振ってくれる家族も窓から見れるし、道中は雲の上から本物の日本地図=日本を眼下に眺め楽しい。
 今年の天上の雲は白くやわらかくたなびき、ところどころに朱鷺(トキ)をおもわせるうすいうすい鴇色や薄墨をおとしたような、まるで屏風絵。
飛行機からの眺めは、昔は誰も見ていなかった風景。今、存分に楽しむのだ。小学校の頃、先生が話してくれた、大きな神様が山を足でぽ〜んと蹴ると水が流れ出し、みるみる実り豊かな土地ができたとか、この風景は日本の神話のイメージにぴったりだ。どこからか宝船に乗った七福神や羽衣をまとう天女が現れて来そう。
 空といえば昔、バハマから日本に到着したとき、上空の風景も確実に違っていたのに驚いた。抜けるように青くコンガとマラカスの聴こえて来そうなサルサの空から、アメリカ上空ではグランドキャニオンのように広大な空を抜け、着いた日本の空はいきなり、未だスサノオノミコトの住む神話の空だった。眼下の土地は水田も瑞々しく、和紙と墨を思わせた。いわゆる『和』だった。

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 機内誌の航路を辿りながら窓から見渡すと、飛行機は阿蘇から大分の上空を抜け、四国をきれいに横断し、灯りが燈りはじめ賑やかな大阪から、夜の闇の荘厳な高野山や奈良の山々を越え、伊勢上空を辿ると、夜の波の打ち寄せる三保の松原の美しい海岸線を眺めながら伊豆半島を回り、そして大島を基点に東京湾に入り羽田に到着する。飛行機は地図を辿るには実に心地よい速度で進んでゆく。夜間飛行ならではの楽しみ、日本中の都市の明かりがところどころそれぞれに、ちりばめられた宝石のような輝きを呈している。伊勢湾に浮かぶの船灯りの燈るお伊勢さんの上空では上から誠に僭越ながら、心で新年のお参りをさせていただいた。

 

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