2008年が終わりそう。
今年のベスト流行語大賞もしっくりこなかった。『グ〜』&『アラフォー』。
アラフォーと言うのなら、それより『50年』かな、と。
東京タワーが50年を迎えた。
そんな2008年のニュースと言えば、『世界的な経済不安』かな。
『ニュース』というのは、日常ではないからニュースになるわけで…と、いうことは『世界的な経済不安』も非日常だからニュースになるわけか。そして、何万人規模の解雇や就職難というのも、実は日常にあってはいけないことなんだな。かなり理屈っぽいけど、そんな風に思えた。それに、いたづらに、情報に流されておろおろしたくないし。
でも、そんな時、感じたことがある。
世の中とは、なにがしかの『仕事・役割・なりわい』をしていないと生きていけないもので、たとえどんなお金持ちだったとしても、何の役割もなければ人間は腐ってしまう。
私も何度か転職をし、仕事を見つけるときの不安というものを分かっているつもりだ。
今現在、転職は考えていない。でも、こんな世の中、何がおこるかわからないし、もし最悪の事態が来た時に考えるのでは、遅いというもの。そういう気になってしまった。
しかしまあ、結局万事『なるようになる(しかならない)』のだけど。
それでも、やっぱり『Yes, we can』で行きたいもの。
と、いうわけで、今、職を探すのがどれほど難しいのか、転職を考えていないときにあえてシミュレーションしてみることにした。
今はPCや新聞で何でも探せる仕組みが出来ていて、探す分にはたくさん探せる。
しかし、その先はいわば『ご縁』なわけで、その後アプローチした会社が採用してくれるかどうかはわからないわけ。実際に探している時は、この時、絶望的になるわけだ。そして内定するとそれまでの苦労がむくわれた気がして、本当に幸せになる。けれど、最近のように内定とりけしなんてことだってあるわけだから。
ただ、『必要に駆られて、で、ない時』に、あえて検索などのシミュレーションをしてみると、つまりは自分が何をしたいのか、どうしたいのか、まあ、はっきりとはわからないなりにも、得るものがないわけではない。あわてていない時に取り組んでみると、何かと良い。逆に、昔から言われているとおりに『あわてるとろくなことはない』わけで。
そして『そなえあれば憂いなし』これを生活のどの部分にもあてはめて考えられるほど、ゆとりを持って丁寧に生活出来たら、やっぱり最高なんだろうな、と思った。
しかし、日々何がおこるかは、誰にもなかなかわからないんだけどね!
さて、日常生活では、笑ってほしい話だが、私は『トイレットペーパー』を主にチェックしている。こういった日用品は、なくなってからだと生死に関係はなくとも、非常に困ることが多いもの。他に『電球』などがある。
シャンプーや歯磨き粉などは、せっけんや塩でどうにかなることもあるが、まあ、必ずチェックして、なくなる前に買い足している。
そうやっているうちにこういう注意はくせになる。苦でなくなる。携帯のメモを利用して書きとめたりしている。
どうにか今年も無事に過ごせ、それが一番かな、なんて、『おこたでみかん』の気分になれるのはやっぱりとても幸せだ。そして、『サザエさん』を見る、というような…。
いつもの八百屋さんから「ココで出来たみかん」といって、お鏡餅の上にでも置きたいような『みかん』をいただいた。東京のココで生まれて育った八百屋のおばさんは、ココ=この町のことを『村』と言った。
ああ、いいなあ。この感じ。
よろしく、2009年。
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