Vol.73 ヨーロッパ珍道中 [2008.10.28]

 海外出張と縁がなくなってもう5、6年を数えていたが、
ここに来て、『ひとりヨーロッパ毎日移動&ホテル替え一週間出張』という
お鉢がまわってきた。
 こんなことを言っては実に罰当たりだとわかってはいるが、
正直、今回ほど「行きたくない」と感じたのははじめてだった。
心の底からなぜか『どこにも行きたくなかった』。
 上司の指示が確実になり、行くと決まったのは1週間前。
フランスの同僚が時差を超えてスケジュール調整をしてくれて、
「安心して」と言うEmailでもドイツへ行く時間は飛ぶ時にも
まだ決まっていなかった。

「行きたくない」それは成田にいっても、シャルル・ドゴールに
ついても続いていた。マリコ、もう、来てるってば!
 シャルル・ドゴールからすぐTGV(テー・ジェー・ヴェー)に乗って
3時間半、ロレーヌまで行くのが最初の日、重要だった。
ひさしぶりのドゴール空港。空港についたらTGVへはこう行けば良い、
と聞いていても、空港からすぐにしかもひとりで乗るのははじめて。
現地につくと、からっきしわからなかった。
 まず、空港の人をつかまえて聞く。「そこを右にまがって行くと
いい。あとは標識を見て!」
なんだかイマイチ信用できない顔つき。で、もうひとり、今度は
女性に聞く。すると今度は「左よ!」
だからもうひとり、今度はパイロットをつかまえた。やっとちゃんと
教えてくれた。ただ右や左に曲がればいい程そんなに近くはなかった。

 駅では東京のようにいろんなところに電光掲示板なんてない。
大袈裟な改札さえない。遠くに見えるメインのホールにでかい
電光掲示板がひとつあるだけ。そして、その掲示板に示されるまで
プラットフォームが何番かわからないしくみ。その先に
プラットフォームは広がっているので、まあ合理的と言えば
そうなんだけど。
 頼みのinformationは暗く1つしかないし、その中に人がいたり
いなかったり。運良く係がひとりいたので聞くと、プラットフォームは
その掲示板で15分前にわかるからと。やれやれ、でも、ここまでは
日本で用意してきたTGVのチケット。その先は今日これから行く
ロレーヌ地方で明日行く会社に行ってはじめて受け取る。
だから今日目的地のロレーヌに行くことがとっても大事。
 しかし、どこにも改札がない!人もいない。キセルしまくり?
いや、そんなはずはない。なんだかわからないまま、いいのかな、と、
私は無チェックのチケットのままプラットフォームへ降りる。
「あ、よかった」ホームへはエスカレータがあった。しかし、時間は
夕方なのにホームへ降りる人は極端に少ない。やっと同じエスカレータを
使おうと、ひとりのテンガロンハットをかぶった男性がやってきた。
エスカレータを降りる間、目が会った。降りるとその男性が言った
「君、チケットのチェックはした?」「それなんですよ。
こんな誰もいないでどうやってチェックするのかって思ってた」
「黄色いボックスがあるでしょう?あれに自分でチケットを入れて
消印をつけなきゃいけないんだよ。でないと、チャージをとられるんだ」
彼があたりを見渡すと、私の後ろに小さな黄色いボックスが「僕さ」と
いうように居た。ああ、よかった。肩の力が抜けて「ありがとう。
今日東京から来て疲れちゃった」と話した。
 アメリカの出張から帰ってきたというフランス人の男性で、
気球フエスティバルを開催する会社に働いている、と、
気球の絵の名刺をくれた。私の乗る車両番号が間違っていないか
確認さえしてくれて、彼は実に明るい笑顔で去って行った。

 そのTGVは突然とまった。実は掲示板のほとんどすべての
電車が30分から2時間半遅れていたが、私の乗る電車は
オンタイムで到着。ラッキーだと思っていた。しかし。
快調な走りが突然泊まって真っ暗何も見えない暗闇に2時間
じりじりと動いたりまた後退したり。私はもう、疲れを通り越して
無痛状態になっていた。
後ろの席の女性が立ち上がっている。「何が起こったんですか?」
「何のインフォもないのよ」そうしてやっと動き出したTGVは
真夜中12時近くにやっとロレーヌへついた。同僚が親切に9時に
タクシーをブックしてくれていたのが大仇に。多分エクストラチャージ
2時間分がかかっている。さっきの女性は私がこれからどこに行くのか
確認し、タクシー料金まで心配してくれ、もしタクシーが
もう待っていなければバスに乗ればいいから、と親切に教えてくれた。
 ひげのおじさんが私の会社名を書いたカードを持って出口の一番前で、
いまだ姿勢良くこの2時間待っていてくれた。さっきの女性に
「タクシーがいた!ありがとう」と挨拶すると早速タクシーに
乗り込んだ。運転手は英語はからきしダメな人だったが、感じが良く、
しかし、料金は上司や同僚の話によると普段30ユーロだったのに、
遅れの待ち料金が加算され、かかったのは85ユーロ。
用意していたユーロキャッシュがごっそり減って、その夜、
キャッシュがなく、とほうにくれる夢を見た。お疲れさ〜ん。

 そんなこんなで次の日はまたTGVでル・マンへ、そしてその次は
またTGVでリヨンへ、そしてまた翌日はTGVでパリへ。
そしてタリスという電車で5時間以上かけてドイツのケルンへ。
そしてタリスでまたパリに戻り北駅からパリ郊外のドゴール空港から
さらに10kmほどのホテルに泊まる。そしてその次の日に成田へ。
そして成田についた日にはオフィスで働くように言われている。
 マッハ555ならぬマッハ600以上で高度1万メートルを
ごう音をたてて飛ぶジェット。ジェットさえ一生懸命に感じた。
戻りのフライトはパイロットの説明通り「クワイトショート」な
10時間。クワイトに短く成田にもどったのは朝の7時。そして
その午後はオフィスで夜の7時まで仕事をした。鬼!ちょっと
実は私は本当は、いや本当にそう言いたかったんだけどナ。

******* 

 私のひさしぶりの出張、すべて会社の各サイトの人たちと会い、
仕事の進め方について、仕事のながれについてフェイス・トゥー・
フェイスで話のできるチャンスをもらったわけ。しかし、そのタイミングは
とってもいいとは言えないもので、会社は人事が入れ代わり揺れていた。
上司は5月から打診してくれていたのに。本社は私の訪問を受け入れる気分が
あるのかないのか。いっしょにスケジュール調整してくれたフランスの同僚は
その仕事を突然あてがわれたのに、しっかりとサポートしてくれた。
上司がとりはからってくれたのは良く分かるが、何となく彼も不安そう。
彼にも何かの重圧があるのだろうか。こういったことが私を
重い気持ちにしていた。今でなくてもいいのに。私が出ることで
どれだけのプラスがあるのか。いろいろ考えてしまって、この出張の後
すぐにこなす自信がもてないほど疲れた。
上司に言ってみたが、私の気持ちはなんとなく伝わらない。とにかく現地では
いつも「忙しい中本当にありがとうございます」これからはじめることにした。

 上司からの『タクシーは最低限に』という言葉が終止頭を離れない。
けれどタクシーなしでは遂行できない。だって全部近くに地下鉄や駅なんて
ない場所なんだもの。それに実はいつでも旅をするたびに、
タクシードライバーは大半が親切で、生きる現実を感じさせてくれるものだ。
チップも最近は受け取らない。

 出張2日目に移動したル・マンに降りると、トホホ。そぼふる雨。
タクシー乗り場にはぬれながらいくハメだ。人も係りもあまりもういない。
それにしてもタクシー乗り場がわからず(本当に標識がない!)
やっとみつけた乗客に聞くと「君もロレーヌから乗ったね。多分、
あっちかな?」人の良さそうなビジネスマンで、彼も乗り場が分からず
困っていたらしい。ロレーヌでは東洋人は私しかいなかったからね。
ホテルまで乗ったタクシードライバーは明るい若者で、素敵なラジオに
チューンアップしていた。小雨の降る静かなル・マンの町並みにぴったりの
ジャジーな音楽があまりにも良くてはじめてチップを渡した。
11時を過ぎていたが、夕食が用意されていた。直前にホテルに
確認の電話をした時に夕食を聞かれた。
「ご到着が夜遅いので、あいにくレストランはしまっています。でも、
ご用意いたしますよ。肉と魚何がいいですか?」だが私はあいまいな
返事しかしていなかった。「野菜かな」そして用意されていたのは
野菜とチーズ。正直うれしかった。

 この旅で一番きれいな風景はリヨンの夜だった。駅では私の大好きな
パン屋のPAULがあったのですぐに求めた。そしてタクシードライバーは
しごく陽気な人。「ここですよ!」この旅でのプレゼントのように同僚が
とっていてくれたちょっといいホテル。はじめてまだ日のあるうちに
到着したので、シャワーをあびて疲れをほぐした後、川べりを歩いてみた。
これは上司の勧めだった。なるほど首飾りのようにきれいな夜景で、
川べりには船じたてのカフェが2、3。若者そしてカップルたちが、
リヨンの夜を楽しんでいた。私も独りじゃなかったら入りたかったんだけど。
東京ではどこでも独りでもいけるんだけど、なんだかその勇気が
まだ出なかった。近くの宮殿のような建物は重要建築らしく、
図書館や美術館かな、そう、なんとなく大学のような
アカデミックさが香っていた。

 週末のパリ(土曜だけ)は歩いて過ごし、日曜のドイツへの移動は
スーツケースをかかえて階段しか見当たらない地下鉄を延々降りたり
登ったり2駅乗り継いで北駅からタリスという電車へ乗った。
火事場の馬鹿力ってもんだな。
 タリスでは何と飛行機のように食事やお酒がついてくる。窓から
ベルギーの街も見えた。乱暴なグラフィティーでうめつくされた建物の
レンガが不思議にベルギーっぽい。到着したはじめてのケルンは
パリの後、とても端正に見えた。駅のコンコースに出ると古い大きな教会が
そびえたっていた。でも、5時間半のタリスの横ゆれが私を少しばかり
参らせていた。午後9時前に寝床に入り翌朝の6時までぐっすり眠った。
時差ぼけらしいものはなかったがこれがそうだったのかも。
 出張だから、毎日行く会社の各サイトで受けるレクチャーやご挨拶で
緊張していたせいも多々あるだろう。しかし、この旅で最初の
ナンシー・ロレーヌで、マーケティングの女性のくれた(会社のロゴこそ
入っていたが)『ナップサック』そしてル・マンでも案内してくれた
研究者が「道中に」とくれた『バドワ』(水)の何とありがたかったこと。

 自腹で持って行ったお土産も、人々の笑顔を運んでくれることも
はっきりとわかった。小さくてもなにかあると全然違う。投石になる。
ちなみに私が悩んで持って行った『おみやげ』はかわいい小箱に包まれた
『干菓子』。金沢のものだったが、日本らしい小さなお花型。
もうひとつは鎌倉の鳩の形の小さな干菓子。それと小さなかわいい形の
おせんべい、それから金平糖...。そして、最近の日本のデザインもの。
いっしょにスケッジューリングしてくれた彼女にはジュエリーハンガー。
きれいなクリスタルピンクの現代的なデザインのものを見つけた。
それからクローバーの形のクリップ。10個入りでかわいいのに
実はこれは格安だった。ライムグリーンのとショッキングピンクを
10個づつ。渋谷のお店で、ひとつひとつ入れられるように20枚袋を
くれたのがとても助かった。

******* 

 ヨーロッパの会社はその設えが何と素晴らしいことか。皆、ひとりか
二人づつの部屋を持っていて、部屋の入り口に名前がかかげられている!
それぞれが研究室か大学の講師室のようだ。窓からは木々の葉が
そよそよと風に揺れたり、木漏れ日や光る葉っぱが楽しめる。
昼食もキャンティーン(社員食堂)で充分。なかなかにおいしい。
同僚とそれぞれの場所で楽しむことができた。無言になるのが恐かったし、
私は積極的に話し、話を聞いた。

 パリには昔何度か出張で来ていたが、今回ドイツへの足掛かりとして
土曜一日の休みに来ることになった。その土曜1日を歩いて過ごした。
昔泊まったコージイなホテルもちゃんとあって、とっても懐かしかった。
プチパレ美術館では黒沢明のスケッチ展と京都展のふたつ、パリで
日本人の私に映った『ニッポン』展。
美術館はトイレの心配もしなくていいし、訪れるだけで
本当に心が安らいだ。
 朝、駅で一日のチケットを買おうとinformationに並んだ。
多分アメリカから来た黒人のおばちゃんが私の前にチケットを
買っていて、一日フリーチケットを求めていた、彼女がいろいろと
質問をしていたのは、まさに私が聞きたかったことばかり。
私が買うまで彼女は身支度でそこにいたが、私はinfoの女性に
聞いてみた。「一日フリーをほしいんですが、ちなみに明日朝まで
使えるものなんてないですね?」すると「私と同じ一日フリーを買って
明日はふつうに一枚買えばいいのよ!」おばちゃんは陽気に言って
立ち去った。ありがとう。

 上司から『腕の見せ所』と言われた最後の北駅からドゴール空港先の
ホテルまでの道のり。ドゴール空港から数キロのホテルには近すぎて
どのタクシー運転手も行きたがらない。シャトルバスもわかりにくく
空港から10キロ足らずのホテルに3時間かかった人もいたそう。
 だから同僚にそれは本当か、と聞いてみた。やはり、北駅から
タクシーがベターとのことで、そうすることにした。
「60ユーロくらい」と高かったが背に腹はかえられないと
上司には説明するとしよう...。
タリスの中、てきぱきしたゴムまりのような女性が食事を運んで来た。
「タクシーの予約も致します。いかが?」聞かれると寸時に
「お金をセーブするように」と指導する上司の声が浮かぶ。
彼女に駅でつかまえられるかどうか聞くと「できるが、運悪いと
すごく並ぶ」という。降りてどっちにいけばいいか聞いてみた。
「右。すぐよ!」という答え。今度は本当だろうな...。
 駅につく前に、普段私はしないことだが、しっかり荷物をかかえて、
電車の出口付近に居座った。3人目に並んだ。「へえ...。ヨーロッパ人も
先を急ぐんだな」到着後、スーツケースをしっかりたずさえて小走りに
すぐに右に曲がるとタクシー乗り場があった!が、もうすでにそこに
30人は並んでいるじゃない。なるほど、激選区なのね。
運良く10分程度でタクシーに乗れた時にはもう、後ろに最後の見えない
100人以上の長蛇の列だった。
 
 私のタクシーの運転手はやさしそうなおじいさんだったが何と
ホテルの場所を知らないと言う!ああ無情!
困って強気に出ると、彼も困っていた。彼は信号のところで他の
タクシー運転手に窓をあけて聞いてくれた。すると、その運転手も
親切に説明をしている。おじいさんが彼にメルシーを言うと、
私も「メルシー!」とフランス語を使ってむこうの運転手に挨拶した。
自分のお客でもないのにありがとう。タクシーは親切だ。
 そのおじいさんはチュニジアからパリに来て10年、家族を
チュニジアに置いて仕事をしているという。ただただ仕事だと。
「最近はとっても大変だ」枯れた声でゆっくり言いながら、後ろから
みえる頬の笑った時のふくらみと目尻の皺が本当にやさしかった。
 郊外にさしかかったころ、道路標識にホテルの場所をみつけると
彼は「安心した」と言った。自分の属するタクシー会社がパリ郊外の、
ある地域で仕事をする許可を持っていないという。だから標識を見て、
そこは行けるところだとわかり、安心したと言った。行けなかったら
どうするつもりだったのかわからないが、非情な香りは全然しない人で、
私は『もしそうだったら今度は何が起こったんだろう』と
明るい気持ちで楽しめる程落ち着いていた。ホテルに近付いたころ
「ここがドゴールです」なるほど、空港からホテルはかなり近そう。
だからタクシーは空港からは行きたがらないのかな。聞いてみると
「多分。でも、そんなこともないはずだけど。困ったら空港の
黄色いマークのついたジャケットを着ている人に聞けば、
案内してくれるはずだよ」  
「ヴォワラ(さあ、つきましたよ)」ホッとした表情でおじいさんが言う。
かかった値段は同僚や上司の言った60ユーロをはるかに下回り、
36ユーロ。しかもドゴールからでなくあの北駅から。4ユーロの
チップを渡すとレシートに40ユーロとおじいさんは書いた。泣けるよ。

 次の日、そのアメリカで言うモーテルのようなホテルに
タクシーを呼んでもらい、再びドゴール空港へ。 滞在中、ル・マンの
夜の小雨以外はすべて快晴で汗ばむ程だったが、この帰りの朝は
かなり降っていた。
この朝の運転手は小柄のジャック・ニコルソン。想像できないかも
しれないが、不思議に爽やかなジャック・ニコルソンといった風。
パリでもドイツでも、ひとりでタクシーに乗ろうとすると助手席に
乗るか後ろに座るか聞かれる。ドイツでの運転手は女性だったので、
はじめて助手席に乗った。今回の運転手は男性だったが、
最後の空港への道を私は助手席で眺めてみようと瞬間浮かんで
再びトライ。英語で話すとフランス語で答えが返ってくる。
私もフランス語は3ヶ月学んだだけでほとんどわからないが、
なんだか通じているような不思議な会話。
「こんな雨の日だけど、君が僕の今日の太陽さ」
なんてキザなせりふかと思うが、素敵なタイミングでさらりと言われると、
やっぱりうれしいもんだな。
思えば前回のパリ出張は10年ほど前。私はマドモワゼルと呼ばれた。
今回マドモワゼルとは誰も呼んでくれなかった。「ボンジュール・マダム」
「メルシー・マダム」あたりまえか。時が経っているわけだ。
 「次回パリに来る時は是非」とその『爽やかなジャック・ニコルソン』は
ブルーにイエローの名刺をくれた。これは役にたちそうだ。
何しろドゴール空港からホテルはなかなか難しいそうだから。

 『旅は道連れ世は情け』
そう思えるころには、私はもう成田へ向かっていた。
-END-

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