東京・九段下
皇居、武道館、美術館、新聞社、靖国神社、桜並木...。
桜が、私の一番好きな8部咲きの早朝、ひとり『千鳥が淵』を訪れる機会に恵まれた。
千鳥が淵は桜並木のお堀端。靖国通り。見事な桜並木が続いていた。
靖国神社が見えると急に、まるで映画を見ているかのような錯角にとらわれる。
堂々とした境内を覆う、花嫁の角隠しのような幕。神道の、白に黒の簡潔な紋様。
それが静かに春の風に揺れる。そしてそれを桜が飾る。
逆光に桜のほのかなピンクが反射している。
そこにいる人は多いのに、聞こえてくる音はなぜかシンと静かで、古い日本の唄が
聞こえてくるような。
そんな春の一瞬があった。
花というのはめったに咲くものでもないように思っていた。けれど、咲く時には
咲くものだ。
こごえる冬をじっと、どこで待っているのか。
私を見守るように咲いてくれたドラセナの花のように。
欲ではなくたんたんとせいせいと。咲くべき、そしてまた散るべきを心得ている。
情動にかられたやり方ではなく、できるときにせいいっぱいやる。
それが自然のやり方だ。
そしてそれは、ちゃんと次に続く。
朝から多くの人が桜を楽しみ、それぞれの視点をみつけている。
実際、歩くごとに変わる風景があった。
視点が変わるとすべてが変わる、そんな風景が目の前にひろがっていた。
すべてを見ようと欲張っても、それは無理というもの。
足下を見ているその瞬間に、もしかしたら絶景があるのかもしれない。
でも、自分が見れるだけのものでいい。感じられたらそれでいい。
なんて...とりとめもない考えが浮んでは消える。
自分の勘、自分で感じる何か。そんなものはさほどあてにはならないのかもしれない。
でも...。
そんな風に、考えるようでいて何も考えなくなると、桜色の下をうっとりとそぞろ
歩いていた。 |
-END-
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