Vol.66  2008年 春 [2008.3.12]
 帰りの自転車。魚屋さんを通り過ぎた。
杉並のとある小さなアーケードもない商店街。
店の前には、いまだにベンチがあったりして、夏などはうちわを扇いだりしながら、
ご近所の方たちが会話を楽しんでいる。

『みんな浅草の方を下町下町って言うけどね、ここはそういうところだってある
ところなのよ』
『あのさ、あそこ歩いてる、な、オレなんかが小学校の時、2年後輩だったんだよ』
『日枝神社ね。あそこで結婚式したの。もう大昔なんだけどね。本当にむかしよ』
私はそうやってお江戸の言葉で話してくれるお店の、私の両親くらいのおばさんや
おじさんたちが本当に好きだ。

 奥で一心にさかなをさばいているこざっぱりとしたおじさん。
『こんばんは。しろみのおさしみ、ありますか?』
『しろみか。今日はね、ひらめしかないな。でもこれさ、これひらめね。ほら、
今風が強いでしょ?船が出ないのよ。ここにあじもあるけど、ちょっとしちゃうんだな。
あっちの方はさ、満月でさ。風やめばまだいいんだけどね』いろんな情報をくれた。
でも、そのプリプリとした鯵。
『私ひとりじゃもったいないな。でもあじ、お願いします。お願いすると?』
『おんなじよ』
おじさん、きれいにあじをひらいて、小骨もきれいにとってくれている。
夕刻の小さなおさかなやさん。
あ。何かつけてくれてる。サッサッサッと3回包丁を入れてくれて2切れ。
そのうえきれいに海草としらがだいこん、大葉とわさびとパセリもきれいに盛ってくれた。
私はこれをいただくわけだ。食するわけ。
こんもりとしたお刺身のひと皿ができあがっていた。
『これさ、タイつけといたのよ』
さっきの3回の包丁は何と、鯛。

帰ってお皿にさしみ醤油をたらし、わさびをつけていただいた。それはその日一日の
充実だった。
思えば皆、私はいただいている。すべて食物はいわゆる、いただきます、なのである。
別に善人ぶるのではないが、何かと食しないといけないのが、また人間だ。
だからやっぱりこういうお店でいただくのがいい。
日々、働く自分。気がつくと、『何のためって...そりゃ自分のためさ』
...ま、当面それでいいさ。良しとしよう。
そんな自分への大切な贈り物だ。

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 『テーブル観葉』で、買ったドラセナ。小さな鉢で、手のひらに乗るくらいの
大きさだった。
今、15年たって、天井に何と、あと5cm!にまで成長した。
実は、うちにはそういう観葉植物が10鉢はある。
その南国ドラセナに花がついた。15年間ではじめての花。

ドラセナ(ワーネッキーとかいろいろあるらしい)は、通称『幸福の木』とのこと。
この通称、実はあまり好きじゃない。もともとの情熱的な名前がある。

15年に一度咲いた花を皆さんに見ていただこうと思う。ヒヤシンスのような香り。
それが帰ってドアをあけるとイイかんじに漂っている。
-END-

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