帰りの自転車。魚屋さんを通り過ぎた。
杉並のとある小さなアーケードもない商店街。
店の前には、いまだにベンチがあったりして、夏などはうちわを扇いだりしながら、
ご近所の方たちが会話を楽しんでいる。
『みんな浅草の方を下町下町って言うけどね、ここはそういうところだってある
ところなのよ』
『あのさ、あそこ歩いてる、な、オレなんかが小学校の時、2年後輩だったんだよ』
『日枝神社ね。あそこで結婚式したの。もう大昔なんだけどね。本当にむかしよ』
私はそうやってお江戸の言葉で話してくれるお店の、私の両親くらいのおばさんや
おじさんたちが本当に好きだ。
奥で一心にさかなをさばいているこざっぱりとしたおじさん。
『こんばんは。しろみのおさしみ、ありますか?』
『しろみか。今日はね、ひらめしかないな。でもこれさ、これひらめね。ほら、
今風が強いでしょ?船が出ないのよ。ここにあじもあるけど、ちょっとしちゃうんだな。
あっちの方はさ、満月でさ。風やめばまだいいんだけどね』いろんな情報をくれた。
でも、そのプリプリとした鯵。
『私ひとりじゃもったいないな。でもあじ、お願いします。お願いすると?』
『おんなじよ』
おじさん、きれいにあじをひらいて、小骨もきれいにとってくれている。
夕刻の小さなおさかなやさん。
あ。何かつけてくれてる。サッサッサッと3回包丁を入れてくれて2切れ。
そのうえきれいに海草としらがだいこん、大葉とわさびとパセリもきれいに盛ってくれた。
私はこれをいただくわけだ。食するわけ。
こんもりとしたお刺身のひと皿ができあがっていた。
『これさ、タイつけといたのよ』
さっきの3回の包丁は何と、鯛。
帰ってお皿にさしみ醤油をたらし、わさびをつけていただいた。それはその日一日の
充実だった。
思えば皆、私はいただいている。すべて食物はいわゆる、いただきます、なのである。
別に善人ぶるのではないが、何かと食しないといけないのが、また人間だ。
だからやっぱりこういうお店でいただくのがいい。
日々、働く自分。気がつくと、『何のためって...そりゃ自分のためさ』
...ま、当面それでいいさ。良しとしよう。
そんな自分への大切な贈り物だ。
『テーブル観葉』で、買ったドラセナ。小さな鉢で、手のひらに乗るくらいの
大きさだった。
今、15年たって、天井に何と、あと5cm!にまで成長した。
実は、うちにはそういう観葉植物が10鉢はある。
その南国ドラセナに花がついた。15年間ではじめての花。
ドラセナ(ワーネッキーとかいろいろあるらしい)は、通称『幸福の木』とのこと。
この通称、実はあまり好きじゃない。もともとの情熱的な名前がある。
15年に一度咲いた花を皆さんに見ていただこうと思う。ヒヤシンスのような香り。
それが帰ってドアをあけるとイイかんじに漂っている。 |
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