Vol.47  夏(ほろ酔いの宵に) [2006.8.19]
 日曜の夜、まだそんなに遅くない夜8時過ぎ。
友だちと会い楽しい時間を過ごし、ほろ酔いで帰って来た。
いつものように自転車でアパートの敷地に到着。2Fの部屋にたどりつく前に6〜7台の車が停められる駐車場とエントランスはアスファルト。こじんまりとはしているが、見上げるとかなり大きく空の見える空間。
 ふと、門灯にてらされたその足下に、何か茶色く動く物が在る。
-えっこらやっこら-
それが正しい印象だった。

 アパートはちょっとした坂道の入り口にあって、自転車なら一度降りないとうまく曲がれない。それでいつも、私は敷地に入る前に自転車を降りる。
そして見つけた、茶色い動くもの。
何だろう、と上気した頭でそれを見る。と...それは、『蝉』。
しかも、『ぬけがら』になる『よろい』をまだかぶったままの、蝉。

******* 

 梅雨があけて夏が来ると、朝の音が違っていた。
それが蝉の声。
10年も地底にいて、やっと太陽をあおぐ地上に出て来た蝉は、約1週間でその命をなくすという。
梅雨があけたころ、目覚めるとまず聴こえたのは、そんな蝉の声。
子孫を残すこともそこでしなければならないんだ。なぜかそんなことまで思った。

 そして地上に上がってきたばかりの蝉が今、ここにいる。
小さい時、たくさん蝉を見たはずなのに、それは私には初めての『動く形』だった。
-えっこらやっこら-(私の押す自転車が踏まなくて良かった)
 その時、その蝉が少し立ち止まって、私を『ン?』と見上げた気がした。
自分の視界には、あたりにこじんまりと広がるアスファルトが映った。
しかし、この蝉にとっては、まるで砂漠のようではないか!
 本当は、少し行くと東京といえども、ここには上水もあれば木々もある。でも、この歩みでは...。
ほろ酔いの私は、とっさに自転車のスタンドをおろして蝉をすくい上げようとした。ひさしぶりに昆虫に触れる。ちょっと怖かった。けれど...。ごめんね。びっくりするだろうな、と、触れた。それにいいのかな、こんな風にしても...?
地面の上で手が少しすべると仰向けになってびっくりしている。お互い怖がっているのかも。
 少し歩くと木にのせた。なんか不器用な奴なのかも、なんて思いながら、そっとのせた。
すると、その足はちゃんとそれをつかまえて、葉の裏側に回った。ほろ酔いとよろいの蝉の宵の図。

 朝、月曜のはじまり。
蝉の声がしている。あの蝉は鳴くかしら? 
そして私はしっかりと、いつものようにまた駅までのペダルを漕いだ。
ふりそそぐ太陽の熱。 夏だ。
-END-
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