Vol.39  朝の会話[2005.12.22]

 早いもので、もう、今年も最後の月。
本当に信じられない勢いで一年が過ぎる。
私の場合、失恋でしょんぼりスタートした今年も、その他は思いのほか穏やかな一年。
朝起きると、花の水をかえて、そこに一個氷を浮かす。そんな具合に何か小さなことを続けてみた。
すると、ちょうど失恋した去年の同じ時期にその相手から連絡が来た。そのあとはただ穏やかにもとの私のまま。そして、秋には転職ではなく、興味のあった部に転部。また元のテキスタイル(生地)系のデザインに携わることになった。
 そんなある冬の朝。いつものように地下鉄に乗って出勤。
私の駅は、始発から3駅目なのに、しっかり朝8時の地下鉄は混んでいて、どんな日もちょっぴりゆううつ。できるだけ、すんなりと混雑に身を潜り込ませられたら幸運というもの。押し黙った車内が示すのは、みんな同じ気分だということ。ためいきをつきたくなるのをグっとこらえて自分の居場所を見つけたころに背中に聞こえてきた声と会話。私の背中ごし、混雑の中に立っていたおじいさんとおばあさんがゆっくりと会話していた。人の話を聞くつもりはなかったのだが、すぐうしろから聞こえるその穏やかな声がその朝、私をなんともなごませてくれた。朝の混雑の中で聞こえても人をなごませる会話。その声のトーン、そのゆるやかさ、そしてそれがとってもきれいな日本語だったからだろうか。失礼ながら、拝聴してしまった。

「それほどではないでしょう?」
--この、『それほど』という言葉づかいにドキっとした。私達は普段、そんなに、とか、あんまり、しか使っていないのでは?
「ああ、みなさん知っているからね。降りたら、すぐに上がれるようにと」
--この、電車に乗っている人たちのことを『みなさん』と呼べるやさしさ。 ...どうぞ、マリコったら事細かに聞いているな、とおっしゃらないでくださいね...。
「なんだかひどく複雑だったよ」
--『なんだかひどく』や『複雑』ということばさえも、まるで小説の中にしかみつけられない気がした。
私達なら「すっごくめんどうだった」とか「めちゃめちゃたいへんだった」だろうか。
最近では「マジうざかった」などという若者も多いが、この言葉づかいでは、全く心が殺伐とする。
私が降りるころ、彼等の静かな会話は虎屋のようかんの話になっていた。あ〜、いいなあ。このやさしい会話。仕事前のせわしない時間、すみません、つい、聞きほれてしまいました。

 きっと日本中どこにでも見られるだろうこんな風景。道ですれ違いざま、軽く頭から帽子を浮かして挨拶をするおじいさん。年をとった人たちには何気なくエレガントなしぐさが板についていることがある。

-END-
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