Vol.123 再会のとき [2013.10.24]
  と、いう題名の映画があったと思う。私のこの秋も『再会のとき』だった。
『あの人どうしているかなあ』と思うと、早い時でその次の日、1〜2週間のうちに、この広い東京の街でバッタリその人に会ったり、メールが来る事がある。
霊感なんてものはとんとないのだが、自分でも驚いた事が2度や3度ではなく、ある。
ある時は駅の階段でその人が降りて来たり、ある時はその人が登って来たり、ある時はその人が電車で目の前に立っていたり、座っていたり、開いた電車のドアの前にいたり。次の日にメールが来た時が一番驚いた。何年も間があいていたのに。

 さて、今回は大学の同級生を何ヶ月か前に思い出した。すると、似た人がその次の週に電車に乗っていた。大学以来なので、何十年もたっているので、変わったかもしれないけど、やっぱりその人は違う人だったと思う。
今時はFacebookなんていうものもあるので、これまでのような奇遇も、電子に乗って作り出されやすくなっていると思うが、今回はこの奇遇と電子の力のミックスのような形で、その人と再会できた。まだ、直接会っていないが、なつかしさでいっぱいで、長いメールのやりとりを繰り返した。今度会った時、電車で会ったのも同級生だったのかを確認できることになる。
 そんなことのあった週の日曜、雨の中彫金に出かけた。なんで、雨なのよ!と思いながら。すると、『マリコさん!』という声が。副都心線の構内の階段で彼女は登って来た。10年ぶりの再会だった。

 こういう事が起きる時は、いい時だと思う。
ダンスをいきなり始めた頃にも、たてつづけに奇遇が起こった。
海を越えたところで産まれたダンスの先生と、私の最初で最後の個展の作品を買ってくれた方が(もちろん知らなかった人)ニューヨークで会っていた。
知らない人同士が何かの流れでつながっていた。

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 話は少し飛ぶが、Facebookで私は自分を検索できないようにしている。それでも、ちゃんとつながる人とはつながるものだ。
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