Vol.113 時代 [2012.12.14]

 もう12月。そしてもうすぐ2012年が終わる。
先日仕事で、ある会合へ出席した。来年その会社の記念行事を行うということで、会社の成り立ちや時代背景を説明してくれて、半世紀前に思いを馳せることとなった。
 暮れもおしせまった16日に選挙が行われるが、その説明を聞きながら、あらためてこの50年の間に社会は変わったものだと思った。まず、現実的に、現在80円ほどの1ドルは1960年代には360円だった。説明によると、海外渡航者は現在年間1753万人に対し、当時は13万人だったそうだ。

 そういえば、熊本空港は今の益城町ではなく、健軍町にあり、私の実家から自転車で散歩がてら行くにはちょうどいい場所だった。父が自転車で私と妹を乗せてよく連れて行ってくれた。その途中で3人乗りを注意されたりもして。笑。
小学校の中・高学年になるまで、父とよく行った記憶がある。飛行機は、たった一枚、大人がその上に肘をつけるほどの高さの鉄の金網を仕切りに目の前で離発着を見る事が出来た。父との会話が聴こえなくなるほどのその轟音が非日常的でけっこう好きだった。空から鳥のように飛んでくる飛行機、そして離陸する飛行機を、目の前で映画でも見るように楽しんでいた。
飛行場の建物の大きさは、現在の飛行場のお土産売り場ほどで、まるで少し大きな郵便局のような雰囲気だった。貨物の計量器も今のような電子式ではなく、なつかしいあの小学校の体重測定のようなものだった。若い人は知らないかもしれない。薄い緑色をしていて、体重計よりずっと重いものが計れるんだと父が説明してくれた。私は、見物者は決して入る事の出来ないその場所に羨望のまなざしを注いでいた。飛行機に乗るということは現実離れしすぎていて、それよりも、そこを通れる人はえらそうだとか、お金持ちなんだなとか、どこに行くんだろうとか。そして、ほんの数脚のソファも空いていた。そこに座ってジュース(ファンタオレンジ)を買ってもらったりするのも楽しみだった。
ある日、多分高校生のカップルがいたのを覚えている。デートだった。制服を着たそのふたりは、例の金網に肘をもたせかけ並んで飛行機を見ているだけだったが、子供心にも、それがなんだか特別に楽しそうなのを感じたりした。

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 そして今、私は飛行機にも乗っているし出張や旅行で海外にも行った。私でもあんな時代から自然にそんなことができるようになっていた。
世の中は一体、これからどんな風に変わって行くのだろうか。そして自分もどんな風にそこにいるのだろうか。そんな言い方をすると人任せに感じるかもしれないが、無関心なわけではなく、むしろ、きっと皆どうにかしたいと思っている。けれど、世の中に対しては、どうにかするにはとても遠いところで操作されている感も常にある。飛行機に乗れたように、自然に物事は進化して行くと信じたい。けれど、同時に思うべき事はたくさんありそうだ。

 

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