Vol.108 夏の終わりに [2011.8.30]

 日曜の朝、私は昔家にいた手乗り文鳥の声を聞いたように感じて起きた。
それは、ツクツクボウシだったが、ちょうど歌を覚える頃に盛んに鳴いていたツクツクボウシをまねて、彼はそっくりにさえずるようになっていたから。
いまだに思い出すとほろりとくる。とても大事な存在。

 今年もまた、目の前のコンクリートに息絶えている蝉の亡がら。敬意をこめて樹木の根元に。小さなからだで懸命に鳴く蝉たち、秋が来ると聴こえてくる虫の声に、いつも何かを教えられる気がする。

 生と死は境界線がはっきりしているはずなのに、あまりにあっけない終わり方をする。なぜ突然連れて行かれる?
海難事故で素敵な人がひとり去って行った。数日前に誕生日を迎えたその人は、たくさんの人のお祝いメッセージひとりひとりに返信し、その中の私にも素敵な方法で返してくれた。でも、その2日後にあまりに突然に去っていった。

 生きているのは奇跡だという。出会いもまた奇跡だ。
生きているものと、そして出来事と、いろんな出会いがあって、それぞれに自分たちの生をかかわらせ、考えたり、感じたり、ぶつかったり、協力したり、それは学校だろうと職場だろうと恋愛だろうと家族だろうと友達だろうといきものだろうと感じることだろうと、あらゆる場面でお互いがかかわっている証だ。その時を大事にする事が、この奇跡に答える一番の姿なのかなと思う。
『今』があるということ『出会う』ということは、それだけで貴重な『時』をもらっていることなんだと思う。

R.I.P. Cecil Monroe.

 

-END-


 バックナンバーはこちら